Usual Quest
ユージュアル・クエスト

51.「アイは恋愛オンチ」


 王都マグンは、街の中心に位置する中央広場。

 魔導師のグラン・グレンが夕日を眺めながら花壇に腰掛け、けだるそうにしていた。珍しくいつものローブではなく、こぎれいな服を着ている。彼はときおり辺りを見渡しては、宙を見上げて息をついた。誰かを待っているようだ。
 二十分ほど経ったころ、ようやく目当ての誰かを見つけたグランは、立ち上がって小さく手を上げた。
「よっ」
 現れたのはパイカーのアイ・エマンドだった。
「よっ」
 アイはてれくさそうに、グランのまねをした。

 二人は一ヶ月ほど前から、正式に付き合い出した。
 しかし、同時期にアイのクラスがランサーからパイカーへと上がったことで忙しくなり、ここしばらくはお互い顔を合わせる機会がほとんどなかった。
 今日は久しぶりの再会にして、初めてのデートだった。

「ま、待った?」
 アイが赤面しながら言った。かなり緊張しているようだ。グランも少しばかりやりにくそうにしていたが、アイの姿を改めて見ると、普段の表情に戻った。
「別に、待ってねえけど……お前、武器は家に置いてこいよな。クエストじゃねーんだから」
 アイがぎくりとして、背負っている巨大なランスをあわてて隠そうとする。グランはため息をついた。彼女はクエストの時と同じ格好だった。
「ご、ごめん! クエストが長引いてさ、そのまま来ちゃったんだよ」
「お前ん家、行こうぜ。それ置いて適当なのに着替えろよ。服にモンスターの血が付いてるよ」
 グランが言うと、アイは首をひねった。
「服? これと、普段のしかないけど」
 グランは思わず絶句した。アイはそれを見てまずいと思ったのか、彼の背をばんばんたたいて笑った。
「う、嘘だよ嘘! 今からとってくるから、グランはここで待っててよ!」
 アイは必死の形相で駆けていった。グランはひりつく背をなでながらため息をついた。
 
「ミランダ、服貸して!」
 アイが向かったのはアーチャーのミランダ・リロメライの家だった。ミランダは彼女の顔を見るたび、にやりと笑った。
「やっぱり来たわね。だから言ったじゃない、ちゃんと着替えて行けって」
「うん、忠告を聞いておくべきだったよ。まさかグランがあんないい服を着てるだなんて……」
「あいつ、最近ちょっとまじめに仕事してたからね。たぶんそれを買うつもりだったのね。あーあ、やっちゃったわね」
 ミランダがそんなことを言うので、アイは涙目になって、その場でパニックをおこし始めた。
「どうしよう、このままじゃ嫌われちゃうよ! どうしよう!」
 ミランダはひとしきりその様子を見て笑ったあと、自分のクローゼットを開いていくつかの服を取り出した。どれもこれも派手なデザインだ。アイはそれを見て目をぱちくりさせた。
「さ、さすが」
「だてにいい女やってないわよ。さーて、どれがいいかな」
「あんまり、派手じゃないやつね」
「あいよ。じゃあ、これね」
 ミランダはそう言ってアイに服を手渡した。アイは礼を言って、彼女の家に武器と普段着を置かせてもらうことにして、そのまま広場へと急いだ。ミランダはにやにやしながらアイの後ろ姿を見送った。

 グランは思わず目をみはった。
「お、お前……そんな趣味だったっけ?」
 アイが借りた服は、ところどころに銀色の装飾具が付けられたワンピースだった。深いブイ字の胸元からは乳房の谷間がのぞき、少し角度を変えれば全て見えてしまいそうだった。
「ま、まあね」
 アイはなんとか平静を装ったが、死ぬほど恥ずかしかった。さっきまでは必死でわからなかったが、派手もいいところ、普段のミランダが着ているものよりもはるかに刺激的な代物だった。完全にだまされた。
「どうかな……」
 アイは不安げにグランの顔をのぞきこんだ。グランはちょっぴり赤くなりながらしげしげと彼女を見た。
「お前にしちゃ洒落てるじゃねーか。そうしてるとまるで女みたいだぜ」
 どうやら悪くはないようだ。グランを小突きながらも、アイはほっとした。

 二人はメーンストリートを歩き出した。今夜はアイのお祝いもかねて、街の北部にあるそこそこ高いレストランを予約してある。
 二人の話ははずまなかった。グランは割と普段通りに接していたが、アイは緊張ですっかり上の空であった。
「……おい、聞いてるのかよ?」
「う、うんっ!?」
 アイがびくりとしたので、グランはいぶかしげにした。
「なんだよ、具合でも悪いのか?」
 アイはぶんぶんと手を振って否定した。グランは空返事をして、少し歩調を早めた。
 アイはあせり始めていた。
 まずい。緊張のせいか、ぜんぜん雰囲気が出ていない。このままでは、念願のデートが失敗に終わってしまう。
 それだけは避けなくてはならない。なんとかしなくちゃ。

「あっ、グラン、グランさあ!」
 アイは唐突に明るく振る舞った。グランは驚いたようにして振り返る。
「あんだよ」
「食事に行くまえに、露店街を見ていこうよ」
 このままレストランに行くのはまずい。露店で色々と見てまわれば、嫌でも話が弾むはずだ。とにかく雰囲気を変えなくては。
「なんか、おもしろいものがあるかもよ?」
 アイはにこにこしながら言ったが、グランはふうと息をついた。
「バカ野郎。食事の予約は七時だぞ。今からでもギリギリなんだ、そんなことしてるヒマなんてねえっつーの。俺も最初はそのつもりだったけど、誰かさんが遅刻しやがったからな。わかったら急ぐぞ」
 グランは少し機嫌悪そうにしてきびすを返した。完全に裏目だった。少し考えればわかることだったのに。アイは、また涙目になってしまった。

 きらびやかなレストランに入った二人は、予約席に案内された。他は満席で、すでに食事を終えている人もいる。貴族らしき夫婦の姿も見えた。
「すげえな。この電灯、全部魔石を使ってやがる。まるでリスタルだぜ」
 グランは店をきょろきょろ見渡しながら言った。アイもそう思った。うす暗く汚い「ルーザーズ・キッチン」と比べると雲泥の差だ。
「この色、全部サファイアフライの魔石だよね。ひとつだけでも、新しい武器が買えちゃうよ」

 サファイアフライ。光る虫型のモンスター。山岳地帯シュージョの川沿いなどで見られることがある。魔石は電灯として主にリスタルの街で重宝されている。強さはバルーン(青)の約三百倍。

「俺、あいつ嫌いなんだよな。よく見るとキモいし」
「はは、それにグランはシュージョじゃ何もできないしね」
 グランはそこで少しむっとした。
「悪かったな」
 アイは、はっと口をおさえた。またやってしまった。
 なんとか取り戻さなければ。
「で、でもサファイアフライって火炎魔法に弱いんだよね」
「だからあんな山の中にいんだろ」
 グランはことさらぶすっとして言った。このままではまずい。
「で、でも『光炎』ならさ!」
 グランはその言葉にぴくりとする。彼は自作の魔法に誇りを持っている。
「あれならうまいこと川の近くまでおびきよせられるよ。そんで、タイミングをはかってドカン! こうすれば火事にもならないし、ばっちりだと思うな」
 「ドカン」にあわせてアイが手を広げると、グランはまんざらでもなさそうに笑みを浮かべた。
「お、おお。そう言われてみるとそうだな。『光炎』はもともと『ライトニング2』の失敗作なんだけど、そういう使い方もあるなあ」
 グランはすっかり機嫌を取り戻した様子でメモとペンを取り出し、ぐしゃぐしゃと何か書き始めた。どうやら今の戦術がよっぽど気に入ったようだ。
 やった。アイはテーブルの下でガッツポーズした。奇妙な名前ばかりで覚えにくいけれど、彼女はグランのオリジナル魔法について半分くらいは把握している。
「あ、でもよ」とグランと手が止まった。
「なに?」
「『光炎』より『蛇炎』でおびきよせて、その後『炎抄』で燃やしたほうが確実じゃねえか?」
 アイはぎくりとした。ふたつとも知らない名前だ。グランの態度を見るに、おそらくアイの前で使って見せたことはあるのだろう。
「う、うーん。そうだね……」
 アイは考えるふりをして、この二つの魔法について推理した。
 「ジャエン」とやらは、話を聞く限りおそらく誘導用の魔法だろう。炎が地を這う奴を以前見たことがある。「エンショウ」は、一手間置くわけだから、一気に勝負を決めるための高威力魔法と考えるのが妥当だろうか。
 だが、下手は踏めない。自分の知っている魔法の名前で乗り切ろう。
「だ、だったらさ、『ジャエン』の後で『炎獄』! これなら完璧だと思うな」
「炎獄」はアイにとって一番印象に残っている魔法で、炎の壁を作って相手を閉じこめる、グランの大技だ。
「あぁ?」
 だが、グランは眉間にしわを寄せた。
「『蛇炎』のあとに『炎獄』? 俺に死ねってのか? 一緒に爆発しちまうよ」
「あ、ああ! そうだったね!……ごめん」
 また、やってしまった。どうやらよくない取り合わせだったらしい。わかるかよ、と思いつつもアイは頭を下げた。
 無言。席の空気はすっかり冷え切ってしまった。
 アイの鼓動が速くなる。どうしよう。このままじゃ本当に大失敗だ。最悪、今日が最初で最後ってこともありうる。
 しかしそのとき、ウェイターが注文を聞きに現れた。思わぬ助け船に、アイはほっと胸をなでおろした。
 グランはメニューを開いて一瞥すると、あっというまに料理を注文した。こなれている感じだ。彼の家は本当に上流階級なのかもしれない。
 アイもテーブルに置かれたメニューを開いてみる。
 ……知らない料理ばかりだ。
「ね、ねえ」
 アイはウェイターに声をかけた。
「アルタ肉とか、ないの?」
 ウェイターはしばしぽかんとしたあと、苦笑した。
「え、ええ。申し訳ありません。そういうのはちょっと……」
 グランは慌てた様子でアイの知らない料理の名前を告げて、ウェイターを追い払った。
「おい、こら。恥かかせんなよ! アルタ肉なんてあるわけねーだろ」
「な、ないの?」
「ねえよっ!」
 グランはぶすっとした様子で言った。アイはまた、やってしまったようだ。

 二人のもとに料理が運ばれてきた。だが、アイは不思議に思った。結構たくさん頼んだはずなのに、皿はたった一枚だ。
「待て」
 アイがウェイターに声をかけようとする前に、グランが止めた。
「こういう店はな、いくつかに分けて料理を持ってきてくれるんだよ」
「あ、そうなの……」
 アイは再びしょんぼりしたが、グランは大して気にしていない様子だった。
「初めてなんだから、わからなくてふつうなんだよ。だからあんまり余計なことすんな。さて、酒が来たぜ。乾杯しようか」
「うん」
 二人はワイングラスを打ち合わせた。
 アイはグラスをあおり、一気に飲み干した。あまりおいしくない。
 グランを見ると、彼はまだグラスをぐるぐると回し、ワインの香りを楽しんでいた。どうやらそういう流儀らしい。
 さっきから失敗ばかりだ。アイはまた落ちこんだ。グランはその様子を見て、苦笑した。
「気にすんなって」
「う、うん……」
 アイは再び恐怖にさいなまれた。グランと自分は、明らかに釣り合っていない。こういう場にいる時の彼の雰囲気は、まるで貴族である。
「ほら、もっと飲めよ。今日はおごりだぜ」
 グランがワインをついでくれた。どこか気の毒そうにしている。
 やっぱり、あたしとグランは、違いすぎる。
 アイはもうどうしようもないので、やけになってとにかく飲みまくることにした。

「ったく、ミランダときたら! あたしはね、派手じゃないやつだって言ったんだよ! でもこーんなドレスみたいな服を用意してくれちゃって。スースーして気持ち悪いよ!」
 すっかり酔っぱらったアイは大声でまくしたてた。グランは周りの席を見ながら、彼女をなだめる。
「お、おい。もう少し静かに。飲み過ぎだ」
「飲めって言ったのはグランだろ!」
 そこに、料理が運ばれてきた。アイはフォークでひと突きすると、それを一気にほおばった。
「もっと持ってきてほしいよ。さっきからチョロチョロと。味もよくわかんないし」
「おい、今のはな、ちょっとずつ食べて味を楽しむ料理なんだよ! 一気に食う奴があるか!」
 次第にグランもヒートアップしてきた。二人の周りのテーブルについていた客たちは、迷惑そうにその様子をちらちら見た。
「あー、もう、もっと持ってきてよ!」
「うるせー! 騒ぐんじゃねえ、迷惑だろ!」
「グランだって騒いでるだろ!」
 とうとう頭にきたのか、グランは席を立った。
「おめーなー、せっかくの祝いの席を台無しにしやがって」
 アイも同じようにした。
「こんな店、あたしにゃ合わないんだよ!」
 グランはかっとして、彼女の胸ぐらをつかんだ。
 が、ミランダの貸した服は伸縮性に富んでいたようで、びよんと襟の部分が伸びただけだった。
 その先には、アイの乳房がのぞいていた。グランからは完全に丸見えだった。

 時が止まる。
 グランが恐る恐る彼女の顔を見上げると、真っ赤になって硬直していた。
「こ、この服、よく伸びるね」
 グランの声はアイの悲鳴と怒号にかきけされた。

 アイがはっと我に返った時には、すでに店の外だった。
 グランは隣で上着を絞っていた。髪までびしょびしょである。
 見てみると、自分も少し濡れていた。
「へっ、あんな上等な店で水ぶっかけられたのは初めてだよ」
 グランの言葉から察するに、どうやら追い出されたらしい。
 アイは少しずつ自分のやったことを思いだし、絶望した。
 確か、色々と投げた。皿やら、グラスやら、テーブルやら。
 大失敗もいいところ。考えうる最悪の現実だ。
「ご、ごめん……」
「もう、いいよ」
 グランは短く言った。
 アイは泣きそうだった。やっぱり無理だったんだ。
 グランはずぶ濡れの上着を肩にひっかけ、歩き出した。アイもとぼとぼとあとをついていく。
 二人はしばらく無言で街を歩いた。
 アイは何か言うべきだとは思ったが、絶望的な返答が返ってくる気がして、とてもではないがそんな気になれなかった。
 グランの表情は、見えない。

 着いた先は、なぜかサン・ストリートだった。
「おっと、このままじゃいけねえな」
 グランは腕をクロスすると“魔力”を練り、手のひらに小さな炎の玉を造った。
「『流炎』」
 グランが拳を固めると玉が割れ、二人をぶわっと熱波が包んだ。
 少しすると、グランは“魔力”を出すのをやめた。
「乾いたか?」
 アイは自分の服と髪を確認する。完全に乾いている。彼女はおそるおそる頷いた。
「それにしても、大失敗だったよな」グランが上着を着直しながら言った。
 アイの心にその言葉がぐさりと刺さる前に、グランはにかっと笑った。
「あの店、お前の言うとおり、クソマズだったぜ」
 アイはそれを見て安心したあと、うれしさで思わず大笑いした。涙すら出てきた。グランも同じように笑った。
「んーじゃ、仕切り直しといこうぜ」
 グランは、親指をたてて先にある酒場に向けた。アイは元気よく頷いて、うきうきと歩いていった。

 王都マグンは、サン・ストリート沿いの酒場「ルーザーズ・キッチン」。
「いらっしゃい……って、なんだ、グランか」
「今日は客だぜ、マスター。そんな態度はないんじゃねーの。アイ、頼んでくれよ」
「うん!……アルタ肉、ふたつ!」

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