王都マグンは、南ゲートから道具屋の角を曲がったサン・ストリート。 このストリート内にはぼろ小屋が立ち並び、マグンの景観を多少悪くする原因となっている。 その中のひとつに、グラン・グレンは住んでいる。 グランはテーブルに座って、読書に耽っている。読んでいるのは、魔術の参考書である。 「……ここで魔力≠圧縮する課程でのコントロールは、練りだした魔力≠ニ相対するだけの魔力≠、重ねあわせることが必要となる。つまり……」 グランは小さな声で本の内容を音読している。彼はわからないところがあると、そこを声に出して理解しようとするくせがある。 「なるほどな。ばっちりだ。スゲーぜ、この参考書。あとは魔力≠フディレイ係数さえ理解すれば、はれて『陽炎』の完成だぜ」 魔術師は新たな魔法を覚えるために、理論などの勉強をする必要がある。そのほとんどが体系化されており、新たに何かを作りだそうとしなくても、売られている参考書を読むことによって魔法を得ることができる。 しかし、グランはそれを応用して、オリジナルの魔法を作ることをライフ・ワークとしていた。おかげで基本の魔法すらほとんど覚えておらず、使えるのはみょうちきりんな物ばかりというていたらくだ。 基礎を学ぶことこそが、新たな近道であることを、理解していないわけではない。 ただ、自分勝手で、人のまねをしたくないだけなのだ。 グランは索引をめくり、「ディレイ係数」のページを開いた。 「えーと……ディレイ係数については、おいおい、なんだよ。ミラルド参考書・別冊第四十五集を参考されたし、だぁ? 表現が重複してんだよ! くそ本め!」 グランは本を投げ捨てると、がちゃがちゃとやかましい麻の袋をとりだした。 「ひーふーみー……手元にあるのは二万ってとこか」 ミラルド参考書・第四十五集の定価は一万八千ゴールドである。 よし、なんとか足りる。 グランは家を出た。 グランはサン・ストリート内にある古本屋に入った。彼が読んでいた第四十四集も、ここで買ったものだ。 「グランじゃないか。今月の『モラトリアム』読んだか? マリドが死んだぞ」 グランに声を掛けるのは店員のジョセフ・マルティーニである。 「違う、今日はそれじゃなくて参考書を探しに来たんだ」 「へえ、おめずらしいことで」 グランは「ミ」の段からハイ・ウィザードのミラルド・スティングスが著した本を探した。 「あった」 ミラルド参考書の欄は、ところどころが抜けている。 グランはそれを見ていく。一、四、八、九、とんで十五、二十四、四十二、……五十五。 「ちっ、ひでえ品ぞろえだ。じゃあな」 グランは店を後にした。 が、数秒後に戻ってきた。 「なんだよ」 ジョセフは面食らっている。 「おい、マリドが死ぬって、聞こえたんだけど。俺まだ今月の『モラトリアム』読んでねえんだよ! なんてことしやがる!」 「おや、そりゃ申し訳ない。ついでに言うと、神器が暴走してリキュールは再起不能になっちまったんだぜ。これで読む必要がなくなったな。来月に続く」 「おい、こら」 ジョセフから慰謝料として『月刊メリッサ』をせしめたグランは、東ゲートの方向へと向かった。 東ゲート方向はもっぱらランサーたちの溜まり場になっている。グランはここがあまり好きではなかった。 「おや、そこにいるのはグランじゃないのかい」 彼に近寄ってきたのはアイ・エマンドだ。 なにかにつけて関わってくる奇妙な女だ。というのが、グランが持つ彼女への印象である。 「なになに、あんたがここに来るなんて珍しいじゃないのさ」 アイはもじもじした。 「気持ち悪いな。くねくねすんなよ。おまえに用はない。じゃあな」 「なにさ、なにさ! あたしだって、用なんかないもんね!」 だったら、なぜ近寄ってきたのだ。 グランは立ち去った。 が、引き返してきた。 「どうしたんだい」 アイは不思議そうな顔をしている。 グランは本をアイに投げ渡した。 「やるよ。確かおまえ、それ読んでたよな」 「『月刊メリッサ』! グラン、どうして知ってるわけ」 アイは真っ赤になった。 彼女はこれを読んでいることを、他人には秘密にしていた。というのも、内容が、内容だからである。 「いや、実は知らねえ。ジョセフの店から適当にかっぱらってきたんだ。いらねえからやるよ」 グランは今度こそ去っていった。 アイはその本を、抱きしめるようにしてしばらく呆然としていた。 東ゲート付近の本屋は、大きさ、きれいさ、そして品ぞろえ。ジョセフの店とはなにもかもが比べものにならなかった。 「やっぱり、参考書を探すならこういうところだな」 グランは満足しながら「ミ」の欄を見た。 ミラルド参考書は、ずらりと並んでいる。 「よしよし」 横から見ていく。 一、二、三、四、……四十。四十一、四十ニ、四十三、四十四。 四十六。 「おい!」 グランは思わず叫んだ。 「書店ではお静かに」 「おい、ねーちゃん! ミラルド参考書の四十五集がねえぞ!」 書店の女性は眼鏡のずれを修正した。 「ああ、今さっき売れました」 グランはとぼとぼと店を出た。 ついでに、この女性のナンパにも失敗した。 それからグランは二件の書店を回ったが、なんという運命か、第四十五集だけが、見つからなかった。 「なんで、こういう時に限ってねえんだよ」 いらいらするグランに、さらなる悲劇が訪れた。誰かが強烈な勢いで彼と衝突したのである。 「痛えな、殺すぞ!」 「うわああ、すみません、ほんとすみません……って、なんだグランか」 起きあがったのはリブレ・ロッシだった。 「なんだじゃねえだろ、リブレ! いきなりぶつかって来やがって、もうゆるさん!」 グランは腕をクロスした。リブレは手を掲げた。 「おい、ちょっと待てって! こんなことしてる場合じゃないんだ」 「安心しろ、一瞬でお前を灰にしてみせる」 「待て、本当に緊急事態なんだ。マリーちゃんが、今日、ただなんだ」 グランは魔力≠練るのをやめた。 「なに?」 「マリーちゃん、失恋したらしくてさ。もう今日は誰でもいいらしいんだ。お前も急げ、きっとかなりの人数が道具屋に走ってる!」 「バカ野郎! もっと早く言えよ、そういうことは! 貴重な時間をロスした、急ぐぞ!」 二人は道具屋に走った。 三日後、グランは東ゲート付近にやってきた。 「いけねえいけねえ、リブレのバカのせいで、すっかり忘れてたよ。今日こそ、第四十五集を獲得だ」 本屋へと歩いていると、ある男がやってきて声をかけられた。 「すみません」 「なんだい、急いでるんだけどさ」 すると、男は困った表情でグランを見た。 「わたし、クエストをできる人を探しているんですが」 「じゃあ、その辺の酒場にでも行けば。ランサーが山ほどいるからさ」 グランは無視して行こうとしたが、男とぶつかった。勢いで彼の財布が落ちて、中から金貨が山ほど転がった。男はそれをあくせくと拾いだした。 「ひどい人だ。わかりましたよ。それじゃあそこの酒場に……」 「今の話は、嘘です! ランサーなんて大した連中はいません。ここは私、グラン・グレンにおまかせを。どんなクエストをご所望です」 男は怪訝な表情をした。 「あなた、急いでるんじゃ?」 グランはにこにこしながら手をもんだ。 「ぜんぜん。わたしは、困っている人を見ると助けずにはいられないのです」 男は咳払いをした。 「……そうですか、では、エンカウントを防止できるような熟練の」 「剣士ですね! いますいます。この先南に向かった先のサン・ストリートの酒場に、リブレ・ロッシさんっていう超強い剣士がいて、もう、どんなモンスターでも一刀両断。おまけに勘もよくて……」 その三日後、グランは唐突に参考書のことを思い出した。 「ああ、そういえば忘れてた」 「なにをだよ」 リブレが聞いた。 「ま、いいか。おい、そろそろさっきのかわいいプリーストが来るころだぞ、音をたてるなよ」 グランたちは覗きを再開した。 |