王都マグンは、サン・ストリート沿いの酒場「ルーザーズ・キッチン」。 「マグニア!」 ドアを開くなり、顔のような刺繍を施された袋を頭にかぶったリブレの声が店じゅうに響いた。カウンターで頬杖をついていたグランはそれを見て、けだるそうにした。 「あー、うぜえ。おまえ、毎年それやるワケ?」 リブレの表情は見えないが、しゃかしゃかとした体の動きで張り切っているのがわかる。 「あったりまえだろ! マグニア記は一年に一回のお祭りなんだぜ!」 マグニア記。建国記念日とその前日に王都で行われる祝賀祭。マグン王国が建国されてから数百回も続けられている、歴史の長い祭りである。人々は顔を模した袋をかぶり「マグニア」と声を掛け合って建国を祝う。前日は前夜祭という位置づけだったが、現在では完全に二日間の祭りとして定着してしまった。この期間ばかりは休業する冒険者が多いこともあってか、メーンストリートには一攫千金をねらった商人たちが国中から集う。 余談ではあるが「ルイス冒険記」シリーズでも物語の舞台として幾度となく登場している。久々に故郷へと戻ったルイスが、ちょっとした事件に巻き込まれるのがお約束のパターンである。 「マグニア、リブレ」 カウンターの奥からマスターが現れた。彼もリブレと同じように、袋をかぶっている。 「お前はノリがよくて助かる。このあわれな魔術師を見ろ。こいつには歴史の重みがわかっちゃいないんだ」 「うっせえな。だったら今日くらい休ませろってんだよ。客なんて全くこねえじゃねえか」 マスターは袋を取った。 「うちの本番は夜だからな。休みについては、去年のように家に帰って眠ったりしないと誓うなら考えよう」 グランは昨年、とくに祝いもせずに家に帰ってしまい、周囲のひんしゅくを買った。 「グラン、あたしたちとどっか回ろうよ。南の広場に旅芸人が集まっているんだって」 リブレの後ろから、袋をかぶったアイが現れた。リノをおぶっている。すでに泥酔しているようだ。 グランは鼻をならしてエプロンを取った。 「しょうがねえ、つきあってやるよ。マスター、これでいいな」 「よし、やっと言ったな。本日『ルーザーズ・キッチン』は午後六時より営業だ。それまでに戻ってくるようにな。マッグニア!」 マスターは両手を突き上げた。 南の広場ではそこここが飾りつけられ、露店も普段の倍以上は出て活気づいていた。完全にお祭りムード一色である。袋を取ったアイとリブレはそれを見て笑顔になった。 「やっぱりいいねえ、マグニア記。あたしはまだ二回目だけどさ」 「だろっ。俺なんて、フィゲンに住んでた頃はこれくらいしか楽しみがなかったもんなあ。寄り合い馬車を降りた時のワクワク感といったら、いまだに忘れがたいね」 わいわいとはしゃぐ二人とは対照的に、グランは興味なさげである。 「けっ、おめーらはいいな、こんなので楽しくなれるような程度の頭でよ」 「グランは去年も一昨年もほとんど参加してなかったから、この祭りのすばらしさをまだ理解できていないんだよ。でも、今日は俺が案内してやるから安心しろ。今日からお前も、マグニア記のとりこさ」 リブレは、普段の様子からは考えられないほどの頼もしい笑顔で胸を叩いた。グランは肩をすくめる。 その時、四人の後方から小さな爆発音が聞こえた。すぐに歓声が起こった。 「おっ、やってるな」とリブレ。 「なんだよ、いまの音。人垣で見えないぜ」 「見ていればわかるよ」 リブレの言う通り、人垣の上から、きらきらと青色に輝く光が立ち上った。かと思えば、今度は赤、次は緑、黄と、次々に光の筋が上がっては消えてゆく。 グランはそれを見て、目をぱちくりと開いた。 「マジック・アートか!」 マジック・アート。魔力≠戦闘用の魔法としてではなく、芸術表現として利用すること。光派系の魔法が次第に昇華されていって体系化されたものだが、まだ分野としての歴史は浅い。表現者はマジック・アーティストと呼ばれる。 「どうだグラン、すごいだろ?」 リブレはにんまりと笑って彼の肩を叩いた。しかしグランは、全身の魂を引っこ抜かれたみたいにぼおっとそれを眺めていた。 「グ、グラン? 大丈夫か?」 名前を呼ばれて彼は我に返った。 「あ、ああ。久しぶりに見たぜ。リスタルじゃあれはバカにされてる分野だからな」 「なんだよ、やっぱりノリ悪いな」 「バカ言うな。俺のリスタル嫌いは、とっくにご存じのはずだろ。よし、見てろ」 グランはリブレたちに離れるように促すと、腕をクロスして魔力≠練り、炎を造った。 グランが指をはじくと、手の中で踊る炎が、ぼうっと言う音と共に鮮やかな紫色に変わった。リブレとアイは思わず声をあげた。 「なに、驚いてんだ? おもしろいのはここからだぜ」 ようやく笑みを見せたグランは、炎をもう片方の手で振り払った。魔力≠ニ魔力≠ェ混じりあって、グランの手のひらから虹色の光が飛び出して散った。 グランはかけ声と共に腕をかかげると、散り散りになった光が渦を巻くようにして集まった。グランは楽しそうに、それをぐるぐると回すと、上空に向けてそれを放つ。 虹色の光が、ゆらゆらと広場に降り注いだ。 いつの間にか人垣はグランの周りに移動していた。彼らはグランにありったけの賞賛を投げつけはじめた。グランは両手を広げて彼らに応えた。 「グラン、すごいよ! どうしていままで黙ってたのさ!」 アイが興奮した様子で空の光と彼の顔をちらちらと見比べた。グランは彼女から目をそらした。 「ふつうの魔法と違って魔力≠フ消費が半端じゃないし、使う意味がねえからだよ。それに、こいつは……」 「ブラボー!」 グランの言葉をかき消して、かん高い声が飛んできた。振り返ると、魔術師風の女が落ちてくる魔法の虹を見上げていた。 「やるわね。おかげで商売あがったりよ」 皮肉めいた言い方だが、怒っている様子はなかった。グランは口の端をくいと上げる。 「悪かったね。まさかプロがやってるとは思わなかったんだよ」 女はそれを聞くと驚いたようにグランを見て、にかっと笑った。 「あんた、面白いね。名前は」 「グラン」 グランは、魔術師に対して名字を名乗らないようにしている。 「グランね。わたしアイリ。アイリ・ブラッセル。よろしく」 アイがぴくりと反応した。自分の名前とかぶっている。 「そんでさあ、グランくん。さっきのやつ、ベースは『ファイア1』の亜種かなんかよね。どうやったらあっこから、虹色になるわけ?」 「プロがアマチュアに聞くんじゃねえよ」 「いいじゃん、教えてよ。はっきり言ってさっきのマジック・アート、プロ級よ。だから対等。わたしの予想では、光術系統を混ぜてるのね。火炎術よりの魔力をハーモニクスの段階で分解して、光を屈折させるってとこかな」 グランはそれを聞いて、少しばかり驚いた様子だった。 「へえ、さすがだね。いいとこついてるよ。でも、それで六割」 二人の会話が弾み始めた。 「あれっ、アイちゃん、嫉妬しないの?」 アイの背中から、いたずらっぽい声が聞こえた。 「リノ、酔いが覚めたなら降りてよ」 リノはアイの背中からふわりとおりた。 「で? なんで嫉妬しないの? アイちゃん、こういうの見るといつもジェラってるじゃん」 アイは無言で腕を組んだ。 「そ、そんなことない」 「この間だってやけ酒してたじゃない」 「そんなこと、ない! だって」 アイは恥ずかしそうにそっぽを向いた。 「あ、あたしと、グランは、その。相思、相愛なんだからさ……」 リノはアイの顔の前までわざわざ移動して、上目づかいに彼女を見る。 「確かに……二人がキスしたのは事実ね。でも片方は覚えてないし、ちょっと思い出してみなさいよ。グランってあの時『好きだ』って明言したかしら」 「言ってないけど、あれは言ったようなものだよ。リノだってそう思ったから、あたしに指示をくれたんでしょ」 リノは指をぴんと伸ばして彼女を指さした。 「甘い、甘い、甘いわ! たとえ可能性が高かろうが公然とした事実があろうが、あんたたちはまだ恋人同士じゃないのよ。ましてや相手はあのグランなんだから、すぐに心変わりしたっておかしくないわ。そもそも男ってそういうものなのよ」 アイは一瞬だけ動揺した様子だったが、ぶんぶんとかぶりをふった。 「おーい、おまえら」 そこで、グランの声が遠くから聞こえてきた。 「悪いんだけど、俺ここで抜けるわ。適当に回ってろよ」 リブレとアイが「えっ」と声を上げた。 「おいグラン、俺たちと回るって約束だろ!」 アイも必死にうなづく。 「うるせえな、話が変わったんだ。なんか、こいつらのグループに面白いマジック・アートをやる奴がいるらしくてよ」 アイリがすまなそうに手を重ねる。 「お友達、ゴメンね! グランくん借りるよ」 二人はしゃべりながら、そそくさと歩いていってしまった。 「汚いぞ、そんなかわいい子と! この裏切り者!」 リブレの負け惜しみは人ごみに消えた。アイは口をぱくぱくあけて、なにもいえずにいた。 「ほーらね」 リノが楽しそうに彼女を見上げた。 その後、三人は街を巡って祭りを楽しんだ。リブレとリノはそれぞれ楽しそうにしていたが、アイだけは心ここにあらずといった様子で、表情を曇らせていた。 「アイちゃん、大丈夫」 リノがふと声をかけた。塀に腰掛けるアイの視線の先ではリブレとミハイルが樽にひじをかけて腕相撲をしているが、とても観戦しているようには見えない。 「……素直になるよ。あんまり大丈夫じゃない。だって本当にリノの言った通りになっちゃったんだもん。無理にでもついていけばよかったかな」 「私も少し言い過ぎたわ。でも、恋愛って早いもの勝ちなの。人の心なんて、本人の都合に合わせて簡単に動くものよ」 ミハイルが大声を出して力を入れると、リブレが体ごとふっとばされた。観客から笑いが起こった。 「そういうものかな」 「そういうものよ。だからアイちゃんも、今みたいにもっと素直になりなさい。グランの競争率なんてたかが知れてるけど、あの二人、雰囲気あったわよ。あいつ、顔だけはいいからね……」 でも、とリノは言いかけてやめた。 ミハイルの笑い声が会話をさえぎった。 「リブレは鍛錬が足りん! アイ、次はお前と勝負だ! あの時のリベンジをしてやるぞ、かかって来い!」 アイはそれを聞いてすっと立ち上がった。 「あたしは、負けないよ!」 彼女の笑顔を見て、リノは少し安心したように息をついた。 一方グランは、アイリと共に街を回っていた。 「そんでさあ、結局教えてくれないの、さっきの」 アイリがにこにこしながらグランに問いかけた。グランはそっぽをむいた。 「しつけえな、あんたも。さっき交換条件だって言ったじゃねえか」 「そんなに知りたいの? はっきり言って地味よ、あいつのマジック・アートなんて」 「でも、そいつのやってるのは確かに、あんたがさっき言った内容なんだよな」 アイリは頷いた。 「確かに、すごいんだけどね。周りの人にはなにが起こってるのかわかりゃしない。どっちかというと繰術寄りよね。ネタも教えてくれないし」 グランは神妙な面持ちで空をあおいだ。 「なるほどね……。それで、もうこの辺りは一周したけど、どこにいるんだよ」 「わかんない」 グランは「はあっ?」と大声をあげた。 「話が違うじゃねーかよ」 アイリは笑顔を崩さない。 「うん。ごめんね。口実がほしかったの。でも今日、どこかでやってるのはホント。だから一緒に回って探せばいいじゃん」 アイリはグランの腕に抱きついた。 「あなたのマジック・アート、好きになっちゃったの。運命よ。あれは運命の出会いだったんだわ。絶対、教えてもらうからね」 グランは小さくため息をついた。 街を一周したころには、リブレはボロボロになっていた。 「あんな暴れ馬になんか乗るからよ。ほんっとに、バカなんだから。回復は有料よ」 しかしリブレは満足げにパンに食らいついていた。中には肉と野菜が挟まっている。 「あれはそういうゲームなの。振り落とされたけど、いいところまで行ったし、みんな盛り上がってたじゃないか。全く、楽しくってしょうがないや」 「そうだね。あたしもあの馬、今年こそ乗りたかったなあ。あの馬をつぶしたデカい男の罪は重いよ」 アイも笑いながら同じものをほおばっている。 「あいつ、毎年やってる常連なんだ。でも来年からは、たぶんダイエットしないと出場禁止だね」 リノが広場の時計を見る。 「さて、そろそろいい時間よ。アイちゃんも早く『ルーザーズ』に行きたいでしょ」 「うん、疲れたから何か飲みたいね」 リノは敢えてつっこまなかった。リブレは目を閉じてその場でひざまずく。 「ああ、祭りの夜の酒! しかもマスター出血大サービスの格安販売ときた! 最高に最高を重ねたみたいにうまいだろうな」 「珍しく意見が合ったわね。今日は特別なお酒も用意しているらしいわよ。早く行きましょ」 三人は「ルーザーズ・キッチン」に向かった。 談笑するリノとリブレをよそに、アイだけは拳に力を込めて、ぎらぎらと瞳を輝かせていた。 リノはちらりとそれを見て思った。 よかった。ようやく告白する決心がついたみたい。 |