Usual Quest
ユージュアル・クエスト

44.「ロバートの確信」

 マグン王国は、山岳地帯シュージョと王都を結ぶトンカ平原の街道。
 ロバート・ストラッティはモンスターが絶命したことを確認すると、ふうと短い息をつき、剣をその体から引き抜いて横に払った。小さな牛のようなモンスターの体液がはじけるとともに、刀身が太陽の光を浴びてぎらりと輝いた。
 ロバートはこの日、ギルドの仕事としてこの周辺に出没した、少々ランクの高いモンスターの討伐を請け負っていた。誰かパートナーでもつけるかとギルドマスターに問われたが、ロバートはそれを断って、もう二時間近くは単独でモンスター狩りを続けていた。
 彼はリブレ・ロッシやグラン・グレンといった冒険者とは呼べない連中とつるんでいることが多いため、その実力をどうしても過小評価されがちなふしがある。
 しかし、実のところ所属しているギルドではトップクラスの能力を誇っており、クラスもソードマンからナイトへと上がることがすでに内定状態にある。
 クラスさえ上がれば現在の弱小ギルドともおさらばで、もっと上がりのいい仕事を回してもらうこともできるだろうし、親友のウェイン・ジェルスとも対等な立場でクエスト契約を結ぶことができる。ウェインにはクラスの問題でこれまでに何度か骨を折らせてしまった。ロバートはこの借りを一刻も早く返したいと考えていた。
「こんなもんかな」
 ロバートは辺りを見渡して、ランクの高いモンスターがいないか確認した。こういうときにリブレがいてくれたら楽なのだが、という考えもよぎったが、彼はギルドに所属していないいわゆる「職なし」だし、討伐クエストにはよほどのメンバーがそろっていないと来てはくれない。そもそも精神的なムラが強すぎるため、矛盾しているようだがこういうクエストにはまず向いていない。
 ただ、ロバートはそれでもいいと考えている。リブレはリブレで気の合う友人だし、「ルーザーズ・キッチン」のメンバーとも今の関係を続けていきたいと思っていた。

 ふと、街道を走る屋根つきの馬車が見えた。
 様子がおかしいのに気がついたのは、それがぐらぐらと揺れ始めてからだった。
 目をこらしてみると、爬虫類型のモンスターがそれを追いかけ、何度もしがみつこうとしていた。
「バジリスクだ!」
 ロバートは思わず叫んだ。バジリスクはこの辺りに生息するモンスターではない。きっと山岳地帯から追われ続けていたのだろう。
 そして奴は、アタッカーとして自分よりも格上のアイやウェインでも相当に手こずる相手でもあった。騎士団に連絡しようかとも思ったが、とうとう馬車が倒されるのを見て、ロバートは思わずそちらに駆けだしていた。
 
 バジリスクは倒した馬車の屋根に手を突き入れ、それを破こうと試み出した。中から、女性のものと思われる悲鳴がとんだ。
 バジリスクはしばらくごそごそと布製の屋根と格闘していたが、突然ぴたり、とそれをやめて首だけひねらせ後ろを見た。
 ロバートとバジリスクが対峙する格好になる。
「よう。おまえとサシでやるのは初めてだな」
 言葉が通じないのは十分承知で、ロバートはバジリスクに話しかけた。そうでないと不安に押しつぶされてしまいそうだった。自分でもバカだと思った。
 バジリスクに一人で立ち向かうなんて、どうかしている。
 それでも、退く訳には行かなかった。
「馬車の中にいるやつ、聞こえるか。こいつは俺がなんとかする。だが、スキをついて逃げようだなんて思うなよ。そこからじゃ見えないと思うが、残念ながらあんたの馬はもう走れる状態じゃない……。俺がいいというまで、そこからでてくるんじゃないぞ。おっと、返事もするな。とにかく刺激しないでくれ」
 布ずれの音だけが聞こえた。
 ロバートは腰の剣を抜いた。バジリスクはそれを見て、警戒心を露わにしてうなりだした。

 以前にもこんなことがあった。
 ウェインたちとキーバライの森で狩りをしていた時のことだ。
 順調なペースでモンスター討伐を続けていた時に、遠くから声がした。
「助けてくれ、精霊だ、精霊が出た」
 ロバートたちは戦慄した。たしかに多少の霧は出ていたが、精霊が現れるほどの状況ではなかったのだ。
 ロバートはすぐに声のするほうへと足を踏み出したが、ウェインに手を取られた。
「ロバート、逃げよう」
「どうしてだ、人が助けを呼んでいるだろう」
 ウェインは無表情のまま、ゆっくりとかぶりをふった。
「声はもう聞こえない。……どういうことか、わかるだろ。それに、僕たちで精霊に立ち向かったところで勝ち目はないよ」
 ロバートは食い下がったが、パーティを組んでいたヒーラーと魔術師も、気が進まないようだった。
「ストラッティくん、気持ちはわかる。だがウェインの言う通りだ。助けに行ったところで、犠牲者が増えるだけだよ。さあ『リターン』で戻ろう」
 リターンの詠唱に入った彼を見ながら思った。
 確かに、正しいよ。でも、声の主が生きている可能性もあるじゃないか。助けられる可能性だって、あるんじゃないのか。
 しかし、パーティで一番ランクの低いロバートは、何も言えなかった。

 いい機会だ。
 バジリスクを見て、最初にそう思った。思ってしまった。
 いつか、ちゃんと人を守れる男になりたいと考えていた。
 だが、待っている限り「いつか」なんてものはやってこない。それに今、気がついた。
 これは神が与えてくれた機会なのだ。
 こいつを倒して初めて、俺は進んでいけるのだ。
 ロバートにはこうやって、敢えて自分を追い込む癖があった。
「バジリスクをソロで倒せるナイトか。稼げるね、この文句は」
 ロバートはぐっと腰を低くして構えた。

 バジリスクはとんとんとその場ではねた。臨戦態勢に入った証拠だ。
 以前ウェインたちと討伐した時も、このタイミングに合わせて彼が指示を入れていた。
 あの時は指示に沿って攻撃を加えるだけで済んだが、今回は自分ひとりだ。奴の行動を見極めながら戦う必要がある。
 ロバートはバジリスクがはねるテンポに合わせ、ゆらゆらと足でリズムを取った。
 一人と一匹の奇妙な競演がしばらく続いた。
 じりじりと太陽に顔を照りつけられ、ロバートの額から汗が流れた。汗はぽとぽとと地面へと滴り、やがて蒸発した。
 ロバートは、拳で汗をぬぐった。瞳に入りそうになったので、無意識に取った行動だった。
 その時だった。待ってましたとばかりにバジリスクはどんとロバートへと突進をしかけた。
 しまったと思った時には体当たりをくらい、押し倒される格好になってしまった。
 ロバートの視界を、灰色の鱗が覆った。鼻をつく臭いとともに、眼前にバジリスクの顔が現れる。その頬が、ぶわりと広がった。
 ロバートはそれを見て表情をゆがめた。バジリスクはものを石化させる液を吐く。腕や足ならまだしも、頭に食らったら一巻の終わりだ。
「うおっ!」
 ロバートは必死に身をよじり、ブーツに入っていたナイフを手にとってバジリスクの顔を突いた。堅い皮にはじかれてナイフは折れてしまったが、バジリスクの意表をつくくらいの効果はあった。そのすきに、前蹴りを食らわせてなんとか距離を取ることに成功した。
「あ、危ねえ……」
 ロバートは息を切らしていた。一瞬の気のゆるみが見せた死への道すじが、彼の体力を一気に奪ったのだ。
 もうナイフはない。次はやられる。
 ……いや。
「俺がやるんだ!」
 ロバートはもう一度剣をかまえた。
 バジリスクは興奮した様子で再び、ぽんぽんと跳ねた。
 今度は、ロバートはそのリズムに乗らなかった。
 待っていてはだめだ。さっきのようにすきをつかれる。
 ロバートは決意を固めて右足を大きく踏み出すと、ありったけの力を込め、袈裟がけに斬撃を浴びせかけた。
 バジリスクはタイミングよく後ろへと跳ね、それをかわす。
 しかしロバートは攻撃の手をゆるめない。そのまま切っ先をバジリスクに向け、前方に突きを放つ。
 バジリスクは横にとび、これを巧みに避けてみせた。再び、その頬が膨らむ。
「ちいっ!」
 ロバートはとっさに前方へと転がる。びしゃあという音とともに、さっきまでいた場所が土から灰色の石畳へと変化した。
 それを見て再び、ロバートは恐怖に苛まれた。バジリスクの石化液にやられた地面と、運悪く被害を受けた雑草には、もはや生気が感じられなかった。
 ……だが、退けない。
 ロバートは口を大きくあけ、声をがなりたてて自分を鼓舞すると、刀身を岩肌に向けて突進した。

 一進一退の攻防が続いた。斬っては避けられ、吐いては避けられの状況が続くうち、次第にロバートの動きが精彩を欠き始めた。
 ロバートはぜいぜいと息を乱しながら、ガントレットの右手部分を放り投げた。それはすでに石化していたため、地面に叩きつけられたとたん、粉々に砕けてしまった。
「くそったれ。底なしか、てめえ」
 相変わらずぽんぽんと跳ね続ける悪魔に向かって悪態をつくが、もちろん理解などされていないだろう。
 だが、相手にも全く変化がないという訳ではなかった。ロバートの攻撃はところどころヒットしており、バジリスクの体の節々には生々しい刀傷ができていた。尻尾に至っては半分近くが切れてしまい、ぶらぶらと垂れ下がっている状態にあった。
 また、攻防が始まる。先手をとったのはバジリスクのほうだった。
 バジリスクは足に力を込めると、大きく跳躍してロバートに襲いかかった。ロバートは横にステップしてやりすごそうとしたが、空中から石化液が落ちてくるのを見て一瞬躊躇した。
 その一瞬が命取りになった。
「しまっ……!」
 まんまとバジリスクはロバートの体を押し倒した。かぎ爪で相手の右腕をめちゃくちゃにひっかくと、ロバートは声をあげて剣を落とした。
 バジリスクの頬がぷくりと広がる。ロバートは雄叫びを上げてその口を押さえにかかるが、力及ばず、少しばかり液を漏らしてしまった。
 液を浴びた右手が一気に冷たくなり、感覚がなくなっていく。そのまま体にも垂れたが、かろうじてブレストアーマーが受け皿となって石化した。
 バジリスクは顔をぶんぶんと振って、ロバートの腕を引き離す。そして、とどめとばかりにもう一度、石化液を口へと集めた。
 ロバートはそれを見て絶望した。これを食らったら、終わる。あと数秒で、命がついえる。
 
「ロバート」
 戦利品を精算し終わった帰り道、ウェインがぽつりとつぶやいた。
「さっきは悪かった。君の言いたいことは、よくわかっているつもりだ」
 ロバートは目を伏せた。
「いいや。おまえらが正しいよ。俺はその……初心者だからかな、まだ踏ん切りがついてねえんだ。お前が止めてくれなかったら、死んでいたかもしれない」
 ウェインは少し自嘲気味にほほえんで、夜空を見上げた。
「君が少しうらやましいよ。そういう気持ちが残っているってことがさ。僕はもう、完全にマヒしてしまっている。最優先の行動を取ろうとすることに慣れすぎてしまっているんだ。きょう、それに気がついたよ。確かに最適な判断だったのかもしれない。でも、結局は僕の判断で、人を一人死なせた」
 
 そうじゃねえよ、ウェイン。
 やっぱりお前が正しかった。結局俺は、感情に任せたせいでこのていたらくだ。
 ロバートの頭に、友人たちの顔が浮かんだ。
 ミランダ、グラン、アイ、マスター、ジョセフ、リノ、セーナ。
 最後にリブレが現れた。

「ロバート、今日はあんがとね」
 数日前のことだった。グランが酒場の店番で行けないというので、ロバートはリブレの郵便配達につきあった。
「別にいいけどよ、リブレ。こんなクエスト、一人でもできるんじゃないのか。モンスターを避けて行けば済む話だろう。俺が一緒だと効率が悪かないか」
「とんでもない。いつ何時、なにが起こるかわからないのがこの世の中だぜ。誰かがいてくれれば、それを回避できる確率が高くなる。ロバートも、もう少し用心した方がいいと思うなあ。お前、たまに一人でクエストやってるだろう」
 ロバートはそれを聞いて笑ってしまった。
「こんなところで死ぬもんかよ」

 リブレ、すまん。こんなところで、死にそうだ。

「じゃあさ」
 リブレがベルトにつけたポケットをまさぐって、木の葉を蔦かなにかでぐるぐる巻きにした玉を取り出した。
「これ、あげるよ。リブレ・ロッシ謹製、特製かんしゃく玉さ」
「いらねえよ」
「そう言うなって。いざって時に使ってよ」
 リブレはむりやり、ロバートの薬草袋にそれをつっこんだ。

 ロバートはそこで、一瞬にして我に返った。
 バジリスクは石化液が十分に口に溜まったと判断し、とどめを刺すために口を開いた。
 ……の、だが。
 ずぼり、と何かがそこに入ってきた。
 ロバートの右腕だった。
 一瞬の沈黙のあと、ロバートが腕を抜いて口を塞ぐと、バジリスクの咥内でバチンバチンと強烈な破裂音が鳴り響き始めた。
 バジリスクはわけがわからず、奇声を発しながらその場でのたうち回った。
 その背後に、影がひとつ。
「リブレ」
 腰だめに構えたロバートは、左手に握る剣に力を込めた。
「あとで、おごるぜ!」
 バジリスクの首が吹き飛んだ。

 戦いを終えたロバートは、さきほどのフルスイングで折れてしまった剣を投げ捨て、馬車のほうへと向かった。
「もう、出てきてもいいぜ」
「……か、勝ったんですか」
 布の中から女の声がした。
「ああ、なんとかな。あんた、回復できるアイテム持ってねえかな。手を石化液でやられた」
「す、すごい! もうだめかと思いました。どうもありがとうございます! 私、行商人をやってまして、石化でしたら、手持ちの魔具で治せます」
 布がもぞもぞと動いた。
 ロバートはそれを見て達成感に浸っていた。
 結局リブレに救われる格好になったが、なんとか勝てた。
 一人の女性の命を守れたのだ。
 今回の自分の判断は、最適ではなかったのかもしれない。でも、それを突っぱねて、乗り越えることができた。
 自分の求める道は、もしかしたらここにあるのかもしれない。

 それに、それに。
 改めて聞くと、なんてきれいな声の女性なんだ。
 嫌が応にも期待させられる。
 何せ命を救ったんだ、彼女は俺のことを強烈に魅力的だと感じてくれていることだろう。
 ひょっとしたら、連敗記録をついにストップさせられるかもしれない。
 最高の気分だ。そうさ、俺の求める道はここにあるんだ。
 ロバートは確信した。

「これです、使ってください」
 腕輪のようなものを手に持って、中の女が姿を現した。
 オーガだった。
「うっ!?」
 ロバートは驚きのあまり、もう剣の入っていない鞘に手をやってしまった。
 よく見るとオーガではない。人間だ。
 なにより、ロバートは彼女のことを知っている。
「あっ」
 オーガ似の少女、エルーガ・オームも彼の顔を見て硬直した。
 冷たい風が吹いた。
「あ、あんただったのか……マタイサと、王都を行き来しているんじゃなかったか」
「えーとその……今はギチートのほうで……そっ、そうだ、石化……」
「あっ、えーと、やっぱいいよ……」
「い、いえ……せっかく命を助けてもらったのに……えーと、まあ、あのスープレックスで骨折したのは事実ですけど……いまはそんなの関係ないですよね……」
「あ、うーん、どうかな、ハハ……。いや、あん時は悪かった、マジで……。せ、石化はさ、王都に戻ればヒーラーの知り合いがいるから……」
 お互い気まずかった。
 
 こうしてロバートの確信は、ちょっぴりゆらいだ。

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