Usual Quest
ユージュアル・クエスト

39.「その頃、恐れる男は」

 王都マグンは、サン・ストリート沿いの酒場「ルーザーズ・キッチン」。

「それで、グラン。一体いつになったら復帰できるんだ」
 リブレは食事を終えて水を一気に飲み干すと、カウンターに詰め寄った。
 視線の先にいるグランはにべもなくグラスを磨いている。
「こないだ、またグラス割っちまってよ。二日追加になった」
 リブレはため息をつく。
「またかよ。なんでそんなミスばっかりするんだ。グランは、なんというか、けっこう器用なはずだろ」
「やる気の問題だな」
 マスターが横やりを入れた。
「こいつは基本的に、好きなことにしかまじめになれないんだよ。全く、困ったもんだ」
「よくわかってんじゃん」
 マスターのげんこつが飛んだ。グランは危うくグラスを落としそうになるが、なんとかキャッチした。
「おいっ、あぶねえだろ!」
「おお、今の動きはなかなかよかったぞ。普段もそのくらいマジになって仕事しろ」
 マスターは笑って彼を指さしながら奥へと戻っていった。
 リブレはまた、ため息をつく。
「このままだとしばらくは一人だな、郵便配達」
「なんだよ、このグラン様がいないと寂しいのか」
「違う。ゲレットさんは俺ひとりでも、いつもと同じ額くれるからな。実際は金を独り占めできて、おいしい状況だ。でも、一人って危険だろ?」
 グランは無表情でリブレを見る。
「危険もくそも……逃げるのだけは王都一、おまけにモンスター感知機能まで付いてるハイブリッドエスケーパー・リブレ・ロッシさんの台詞とは思えないな」
「ヘンな呼び名を作るな。もちろん、逃げることには自信があるよ。どんなモンスターが相手だって、八割は逃げきれる自信がある。でも、完璧じゃない。ひとりじゃ判断力も鈍るし、ミスした時のリカバリが難しい。やっぱり、お前がいてこそなんだよ。お前の魔法があって初めて、百パーセントなんだ」
 言っていることは全くもって情けないのだが、リブレはちょっと格好をつけてグラスを揺らした。
「不安なんだよ、十割逃げきれないのが!」
 リブレはうつむいて、悔しそうにカウンターに顔を向けた。グランは沈黙のあと、彼の肩を優しく叩いた。
「わかったよ。できるだけ早く復帰できるように努力する」
 リブレは目を輝かせて顔をあげた。
「ほんとか!?」
 グランはゆっくりと頷いてニヒルに笑った。
「俺も十割、逃げたいからな」
 マスターはあえて何もつっこまなかった。

 その時だった。
 突如として、リブレの表情が一変した。立ち上がって、後ろの壁へと振り返る。
「どったの」
 グランの呼びかけに答えず、リブレは自分の眉間をさわり、目をつむった。
「うそだろ……」
 グランは首をひねる。リブレは席に戻らず、壁へと歩いてゆき、手をついた。彼の額に、汗が浮かんだ。
「モンスターの気配だ。距離は遠いが……王都の中にいる」
「はぁ? んなこと、あるわけねえだろ。あの城壁から入ってこられるモンスターなんていねえよ」
 グランの言うことは確かだった。記録上、王都マグンがモンスターの侵入を許したことは、現在の城壁ができてからたったの数回しかない。そのすべてがイレギュラーとも言うべき高レベルのモンスターであったが、いずれも大した被害を出すまでもなく騎士団によって討伐させられている。城を囲う第二城壁までたどりついたモンスターに至っては、未だゼロである。
 だが、そんなことはリブレもよく知っている。
「いや、信じがたいが確かにいるんだ。見ろ。この鳥肌」
 リブレは袖をまくって、鳥肌のたった腕を見せた。
「さすがに、勘違いじゃねーの?」
「そんな訳ない! 町にモンスターがいるんだ!」
「それだったら、もっと騒ぎになってるはずだろーが。それに、そんな問題は騎士団がさっさと片づけてくれるだろ」
 それでもリブレは険しい表情で額をさすっている。
「そこなんだよ。この感じだと、モンスターは北部エリアのあたりにいる。だけど、そこはもう町中なんだ。完全に入り込んじゃってるんだよ」
「だったら、ますます勘違いだよ。町中まで入ってきてたら、もうとっくに騎士団が討伐に動いてる。どちらにせよ、数分でけりがつくだろ。待ってみろよ」
 リブレはようやく、そうだな……といいながら汗をふいた。グランはレモン水を出してやった。

 数分後。リブレは落ち着かない様子で、改めて言った。
「だめだ、変化がない」
 グランはめんどくさそうに肩をすくめた。
「ほんじゃ、勘違い。レーダーがイカレたんだ」
 しかしリブレはそれを信じようとしなかった。
「くそ、どうすればいいんだ。このままじゃ気になって、どうにかなりそうだ」
「いっそ、見に行ってくれば。自分で確認すりゃ収まるんじゃね」
「モンスターに遭遇しないための力なんだぞ。いけるわけがない!」
「じゃあ、そのまま待ってろっての。めんどくせぇ奴だな」
 リブレはもう、耐えられないようだった。しかし、自分ひとりで行くのはどうしても不安だ。まさに手詰まりの状況。そんな時、救世主が現れた。
「よっ、リブレ。クエストいかねえ」
「頼みがある! いますぐ俺と一緒に……」
 ドアから入ってきたばかりのロバートは、台詞が終わるまえにリブレにつかみかかられ、そのまま連れ去られるようにして出ていった。
 グランはだるそうに息をついて食器を片づけ始めた。
 そこに、アイが息を切らして入店してきた。まるで誰かに追われているみたいだった。
「いらっしゃ……ん、どうした?」
 アイはグランの顔を見るやいなやびくりとして、首をふった。
「な、なんでもない」
「そんな風には見えねーけどな。まあいいや、とっとと座れよ」
 グランはふと思った。
 この店、改めて見るとホントにヘンな客ばっかりだな。

 リブレとロバートの二人は北部エリアの小さな広場までやってきた。人通りはほとんどなく、二人が石畳を踏む音だけがこつこつと響いた。
「この辺りに、モンスターがいるっていうのか」
 ロバートはいぶかしげに辺りを見回す。リブレは注意深く腰を落として、様子をうかがっている。
「気をつけてくれ。かなり近い」
「なあリブレ、やっぱり騎士団に頼んだ方がいいんじゃないか」
「俺だってそうしたいよ。でも奴ら、まるっきり信じてくれなかった」
「今日はウェインが西部のゲートにいる。あいつならきっときてくれるだろ」
 リブレはその名前を聞いたとたん、顔を青くした。
「勘弁してくれ。俺、あの人苦手なんだよ」
「なんでだよ。あいつ、お前のこと結構気に入ってるみたいだぜ。クエストにも行きたいってよく言ってるし」
「とにかくあの人は……」
 その時、リブレが何かに反応して視線をずらした。ロバートに手で指示し、ちょうど段差になっているところに身を隠す。リブレはそこから少しだけ顔を出した。
「あの家の先から、モンスターが来る。ロバート、やばそうな奴だったらすぐに逃げるから、準備してくれ。倒せそうなら……お前が倒してくれ」
「結局、俺がやるのかよ」
 そう言いつつも、ロバートは緊張した面持ちで腰に下げた剣に手をかけた。彼もリブレの感知能力には何度も助けられている。まるきり妄言だとは思っていない。
「いけそうなら俺も加勢する」
 リブレはがちがちと震えながら言ったが、そんなことは期待できそうにもなかった。
 道の先に、影が見えた。二人は身構えた。

 黒く、けむくじゃらの体躯、鋭い目。丸まった背中、ぴょこぴょこと動く尻尾。
「んないおう」
 猫は眠たそうな声で鳴いた。

 ロバートはじとーっとした目でリブレを見ながら、苦笑した。
「なるほど、ありゃあ確かに、大したモンスターだな」
 リブレは何も言わない。
「俺、『ルーザーズ』に戻るけど」
「待ってくれ。確かにあれは猫だ。だが、気配はあいつから発せられている。あいつがモンスターなんだ」
 ロバートは困惑する。
「おいおい、別にミスったからって、お前の価値が下がる訳じゃない。いつも頼りになってるんだからよ。なんか、今日は調子が狂っちまったんだろ? わかるよ、俺もそういう時あるからさ。笑って悪かったよ」
 しかしリブレは険しい表情のままだ。
「わかった。もう頼まない。俺が行く」
「おい、リブレ!」
 ロバートの制止も聞かず、リブレは背中の剣を鞘走らせて飛び出した。
「そこの猫、止まれ!」
 リブレは叫んだ。猫はその声と向かってくる人物の形相に驚き、脱兎のごとく逃げていった。リブレは懐に手を入れ、その先に向けて投擲用ナイフを投げた。猫は目の前に突き立てられたナイフに驚愕しその場でターンしたが、そこには剣を降りかぶったリブレがいた。
 しかし猫の方が上手だった。猫は斬撃をかわしながらその場でぴょんと跳ねて、民家の屋根まで上っていった。
「待てっ!」
 負けじとリブレは剣を石畳に突き刺すと、鍔に足をかけて跳躍し屋根に乗ったが、猫の姿はすでに見えなかった。
 静寂が訪れた。リブレは悔しそうに歯を食いしばり、屋根から降りて剣を納め、ナイフを石畳から引っこ抜いた。
 ロバートは呆れた様子で頭をかいていた。

「やっぱり、勘違いだったのかなあ」
 帰り道、リブレがぽつりとつぶやいた。
「……まあ、いいもん見られたよ。お前、マジになると動きがまるで別人だよ」
 ついでに顔立ちまで変わっていた気がする。今はもう、いつもの情けないリブレに戻っているが。
「今日は、もう帰って休めよ。最近、郵便配達も一人なんだろ? 疲れが溜まってんだよ。俺はギルドの方を当たってみる」
「悪いな、そうするよ」
 二人は別れた。

 だが翌日になって、リブレは「ルーザーズ」に入るやいなや、再び言った。
「グラン、まただ。また、北部エリアにいる」
 グランはカウンターに肘をかけた。
「お前、マジでおかしくなっちまったんじゃねえの。昨日のはただの猫だったんだろ」
「わかってる、わかってるよ。今日もまた、ありえない事態が起こってる。俺の感知能力は不調みたいだ。でも……」
 リブレは黙って、カウンターの端で早めの夕食を取っているロバートを見る。
「……また、オレか? 今度は金取るぞ」
 ロバートは半分冗談で言ったのだが、リブレはゆっくり頷いた。
「うん、クエストとして頼むよ。できればグランも来てくれないか。確か、今日早番だろ」
 グランは手をさっと掲げた。
「……悪い。今日はどうしても外せない用事があんだ。二人で行ってこいよ」
「なんだよ、珍しいな。そんなに大事なのか」
 グランはなぜか、ばつが悪そうにしている。
「まあな。めんどくせえんだけどよ……行かなきゃならねえ」
 こういう時の彼は、たいてい本心から言っているとリブレは良く知っていた。
 リブレとロバートは店を出ていった。グランは仕事終わりの時間になるとエプロンを脱ぎ、頬を叩いて気合いを入れた。
「勝つ。絶対に勝つ」

 一方、ロバートとリブレのふたりは、再び北部エリアの辺りまで足を踏み入れた。
「この辺りだ」
 リブレが、前回と同じ広場の近くで止まる。
「また、ここか。こりゃ、ますます……」
 ロバートはそこで口をつぐんだ。今回はクエストとして呼ばれているのだ。文句は言わないことにした。
 またしても同じ段差に隠れ、様子を見る。
 まるで前日のリプレイみたいに、影が現れた。二人は臨戦態勢を取った。

 長いストレートの髪、細い腕。豊満な胸、すらりとしたボディライン。
 今度は人間の女だった。武器などは所持していない。
 ロバートはリブレの肩を叩いた。
「お疲れ」
 リブレもうんざりした様子だった。
「どうなってるんだ、全く。くそっ、今度は確かめようもない」
 当然、彼女に襲いかかろうものなら、たちまち騎士団に逮捕されてしまうだろう。
「……それにしても、よくよく見ると美人だな」
 ロバートは女をしげしげと観察しながら言う。リブレも同意する。
「ついでだし俺、あの子ナンパしていくわ」
「ちょっと待てよ、見つけたのは俺だ。ロバートはどうせ、連敗記録を塗かえるだけだって」
「……お前にだけは言われたくない台詞だぞ、それ。なあ、報酬はいいから譲ってくれよ」
「グランとこうなった時、どうするか知ってる? 早いもの勝ちってね!」
「あっ、ずるいぞ!」
 リブレは飛び出して女を追った。ロバートもそれにつづく。

 こうして始まった二人のナンパ勝負の結果は、ドローだった。ただし、お互い惨敗である。
 女は彼らの言葉に反応することすらなく、気味悪そうにしながらそそくさと逃げていった。
 二人はとぼとぼと帰途についた。
「ロバート、これで何連敗?」
 ロバートは完全に生気を失っている。
「言っとくが、今回のは、負けに入らないからな。だって相手にすらされてなかった。まず勝負が成立していない」
「じゃあ今回のは、なしでいいよ。それで?」
 ロバートは、うつむいてかすれた声を出した。
「……十」
「さすがに、それは、笑えないな……」
 その時、敗者たちの後ろから大声が聞こえた。
「ちょっと、どいてどいて!」
 リノと知らない男たちが騒ぎながら誰かをかつぎ上げている。
「リノ、どうしたの?」
 リブレが聞くと、リノはちょうどいいところに、と言いながらリブレとロバートをこの人間担架に引き入れた。見ると、担がれているのはグランだった。意識を失っているようだ。
「え、ちょっと。一体どうしたんだ、グラン」
「話はあと! とにかく急いで!」
「リノ、まずい。グランがけいれんを始めた」
 がっしりした体つきの男が言った。服のところどころが真っ黒に焦げている。
「ったく、マジで死ぬわよ、これ! 応急の回復は私がやるから、みんなはとにかく運んで! この先にプリーストがいるはずよ!」
 リブレとロバートはわけのわからぬまま、グランを運んでいった。

 女は、うす暗い洞窟へと戻った。
「どうだった」
 どこからともなく聞こえてきた重い声に対し、女は首を横にふる。
「ダメです」
 ぱちんと指を叩くと、女は凶悪な顔つきをしたモンスターへと姿を変えた。
「城壁内部への単独潜入は簡単でしたが、低レベルと思われる剣士たちに妨害され、偵察は失敗しました。猫の姿でも同じ結果でした。こちらの動きを把握されていたとしか考えられません。どうやら私たち魔王軍が思っているよりも、王都の戦力レベルは強大のようです。ここ数十年で衰退したというデータが出ていましたが……まだ侵略するにはリスクが高いのでは。もう五十年くらいは、様子を見るべきかと」
「了解した。地方幹部へと伝達する」
 モンスターたちは闇へと消えていった。

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