「ふたりの男があんたをかけて対決。うらやましいシチュエーションね」 閉店後の帰り道、リノがふと言った。しかし、アイの表情は浮かない。 「……そうでもないよ。グランは、つけの精算をするためにやるんだよ」 「どちらにせよ、アイちゃんもそろそろ潮時よ。私はあのミハイルって男、相性いいと思う。ちょっとヘンだけど」 改めて考えて、確かに……とアイは思った。なんというか彼は、思考回路が自分と少しばかり似ている気がする。 「でも、やっぱりグランが好きだな、あたし」 リノは肩をすくめた。 「なんなの、その一途さ。どうしてあのグランがそんなに好きなの?」 「り、理由を聞かれても困るよ。口じゃ説明できない」 「それって、恋に恋してるってことにならない?」 アイは黙ってしまう。 自分でも、なんとなく感じていた。 グランへの想いは、自分とはまるで別の生き物のような「魔術師」である彼に対するただの憧れであり、それを勝手に恋心にしているだけなのかもしれない。 戦うことが好きで男勝り。自分の自慢であり、たまに、ちょっとしたコンプレックス。もしかしてこの気持ちは、それを少しでも薄めようとして生まれたのかもしれない。 「そろそろ、ハッキリさせるべきなんじゃないの」 リノの言葉がぐさりと刺さる。 「グランがアイちゃんのことをどう思ってるのかは、知らないけど。今日もはぐらかされたしね。……でも、自分だけが好きな状況じゃ、うまくなんていかないわ」 「リノこそ、珍しいね。そんなこと言うなんて」 「泥酔してるのよ」 翌日の夕刻、南ゲートにグランとミハイルが現れた。ミハイルも仕事帰りのようで、話を聞いたという見物人を大勢引き連れてきた。二人は話しあい、ゲートから少し離れた場所まで移動した。城門の外に出てしまえば、そこはもう治外法権である。 グランがローブをほどいて投げ捨てた。動きやすそうな黒い服が現れる。 「あんな服、初めて見た」 アイは思わず口に出した。 「勝負服ってやつ? グラン、やっぱりマジなのかな。それにしてもなんなの? 勝ち目ないに決まってるのに」 話を聞いて駆けつけたミランダが神妙そうな顔をする。隣にいるリノは何も言わない。 「どちらにせよ、私は絶対に認めません」 セーナは不機嫌そうにして、アイの腕に絡みついている。 「よし、見物人もいることだし、ルールを改めて説明しよう」 ミハイルが周りを見まわす。グランは目を閉じ、すっと手を差し出して、不満がないことを伝えた。 「今回はここにいる彼女、アイ・エマンドをかけた勝負だ」 「ちょっと待った」 グランが口を挟む。 「金を賭けろよ、それがお前の商売だろう」 アイは胸が張り裂けるようなショックを受けた。セーナがやじをとばすが、無視されている。 ミハイルは頷いた。 「いいだろう。ただし参加料をもらうぞ。二万五千だ」 「今はない。後払いにしてくれ」 「……いいだろう。今回は特殊ルールだ。彼は魔術師だから、特別に魔法の使用を許可する。ただし、お互いに殴ることができる間合いでのみに限られる。あくまでお互いの肉体を使って勝負をつける」 二人と取り囲むようにして立っている見物人たちが騒ぐ。彼らはやっぱり、とりあえず騒げればそれでいいのである。 「あんちゃんよお」 グランが歯を見せる。 「なんならあんたも使っていいぜ、魔法」 ミハイルの眉が動く。 「あいにくだが、俺に魔法の教養はない。だから今のように、体術だけで稼いでいる」 ミハイルは彼をじっとにらみつけ、構えを作った。 「来い」 グランは腕をクロスして、魔力≠練った。ミハイルがすぐに距離を詰める。 ミハイルはそのままタックルに行った。練った魔力≠発動前に飛散させてしまえば、グランは魔法を使うことができない。 しかしグランはそれを読んでいた。練った魔力≠そのまま足にのせ、飛び上がる。空気の破裂する音が響いた。 グランはミハイルの後方に着地した。空中で既に練り上げていた魔力≠ェ、炎へと変わる。 「おらっ!」 グランが手を何度も突き出す。その度に拳の先から小さな爆発が起こった。近距離用の火炎魔法だ。ミハイルはその場で切りかえしすべて避けると、回し蹴りを浴びせかけた。グランはすんでのところでそれをかわしたが、次に用意していた火炎魔法が上空に飛んで消えた。 ミハイルはこの好機を逃さない。鋭いジャブ二発から、右ストレート。見事にグランの顔面へと決まった。 「グラン!」 アイが叫ぶが、グランはあっけなくその場に仰向けになって倒れた。 「なんだ、もう終わりか? ずいぶんと自信があるように見えたが、あっけなかったな」 ミハイルは彼に近寄って見下ろした。 「……そう思うか?」 グランは目を開いた。ミハイルはとっさに距離を取ろうとしたが、グランは既に魔法を完成させていた。 どん、という音とともに、円形の炎の柱があがった。観客たちが一斉に声を上げた。 人間の身長の数倍もあろうかという長さまで立ち上った炎の柱は、二人を中心としてごうごうと燃え上がる。 「へっへっへ。俺の勝ちだね」 グランは片手に魔力≠練ったまま立ち上がる。 「いや、この状況は、お前に逃げ場がなくなったとも言えるんじゃないか」 「俺の『炎獄』を、ナメんなよ」 グランが手をぐっと突き上げると、「炎獄」の円が少し小さくなり、ミハイルの髪と服を少しこがした。 「こんなもの、なんでもない。お前を今から殴りつければ終わりだ」 ミハイルが地を蹴ろうとしたその時、グランは今度は腕をぐいと下げた。二人の間に炎の線があがった。 「さあ、どうする? これから、あんたのほうだけ小さくしていく」 ミハイルはぎりと歯をならした。 「くそっ……まさか、魔術師に遅れを取るとは」 「反省しねー奴だな。あんたアイを女だからって見下してたから、やられたんだろ?」 グランはくいと口の端を上げた。 「あいつは、お前なんかがナメてかかれる相手じゃない。俺たちのパーティの中でも、センスがダントツだからな」 「さすが、よく見ているな」 ミハイルはそれでも食い下がる。 「グラン、聞いてくれ。今回はお前の勝ちかもしれん。だが、アイのことは諦められない。君は今回、金が欲しくてこのマッチを受けたような口振りだったな。だから頼む、そこんところは、譲ってくれないか。なんなら、賞金もはずむ」 グランはそれを聞いて大笑いした。 「なんだよ、男らしくねえな」 「それはお前も同じことじゃないか?」 グランから表情が失われる。 「なんでそうなるんだよ」 「アイは、お前のことを好いている。だが、お前はそんな彼女のことを知っていながら、あえてなにも言わずにいる。そうだろ?」 グランはなにも言わない。ミハイルは続ける。 「図星だな。でもそれじゃ、彼女がかわいそうだと思わないのか? その状況を引っ張ったままでもお前はかまわんかもしれんが、彼女は傷つき続けている。きっと今だってな。だから俺は、負けたくない」 炎に包まれたまま、ミハイルは汗をふいて足に力を込めた。 「おい、ヘンなこと考えるなよ! 突っ込んだらやけどじゃすまないぜ」 「いや、やはり譲れない! 彼女を幸せにしたい!」 グランはうつむいて、とても大きなため息を、ゆっくりとついた。 流れる汗をぬぐい、腕をクロスする。魔力≠ェ集中してゆく。グランは顔を上げて言った。 「……ミハイルさんよ。悪いが俺も、それだけは、どうしても、どうしても……譲れねえんだ」 それを聞いて、今度はミハイルが声を上げて大笑いした。グランはきょとんとする。 「ついに言ったな! その言葉を待っていた」 グランは目をむき出し、口をあんぐりとあけた。 「あっ……て、てめえ! まさかわざと!」 「耳が真っ赤だぞ」 「うるせえぞ、コラ!」 その時、グランの集中が乱れたのか、「炎獄」が解除され、炎の柱がごうと飛散した。 観客たちの視線にさらされる。どうやら、見えないなりにも戦いを注視していたようだ。 「ぐ、ぐわあっ! 熱いっ! うわー、俺の負けだ!」 ミハイルが騒ぎだし、その場に倒れた。 「お前、わざとらしすぎるぞ……」 グランが突っ込む間もなく、観客が声を上げた。 戦いはグランの勝利に終わった。 「グラン、賞金だ」 グランはミハイルから賞金の入った袋を受け取った。 「まいど」 「あともう一つ」 彼は無言で立っているアイを指さした。ミハイルはアイに向かって歩いていく。 「俺はあいつに負けた。だから君のことは潔く諦めることにする。……それで、彼から話があるらしい」 アイとグランははっとする。二人の目が合う。 「ねーよ、お前に話なんか」 グランは背を向けた。 「……えてた」 アイがつぶやいた。グランが振り返る。 「なんだって?」 アイはしばらく目線を下げていたが、やがて決意したように言った。 「聞こえてた、ぜんぶ」 歓声があがる。グランは硬直した。 「……マジ?」 「丸聞こえよ。当たり前でしょ。あんたの派手な魔法で、見えはしなかったけどね」 リノがすごく楽しげに言った。 グランはばつが悪そうに頭をかいた。 「あー、その……なんだ……」 言い終わる前に、リノが叫んだ。 「アイちゃん、『四』!」 支援魔法を受けたアイの体がうすく輝いた。涙がそれを反射し、きらきらとゆれた。 「うおおおおおっ!」 グランが気づいた頃には、二人は唇を合わせていた。 観客たちがひゅうひゅうと口笛を鳴らし、やっぱり騒ぎだした。 「失恋したところ、申し訳ないんだけど。ありがとね、ミハイルさん」 リノに背中を押されたミハイルは、満足げに微笑んでいた。 「たまにはこういうのも悪くない。なに、気にするな。俺の商売は、機を見て負けることが繁盛の秘訣なんだ。彼女を取られてしまったことは、悔しいがね。……それにしても、あの二人、ちょっと……」 一方アイは、頭の中が完全に真っ白だった。 自分でも何が起こってるのか、よくわからない。 ただ幸せだった。 ずっとこのままでいたい。そう思った。 そう思い続けていたのだが、どうも周りの様子がおかしい。 「アイちゃん! アイちゃん!」 リノの声が聞こえる。なんで邪魔するんだろう。 あたしはずっとこのままでいたいのに。 「アイ! ストップストップ!」 ミランダまで。 「アイ、それ以上はいけない! みんな、引きはがせ!」 ついにはみんなが体をつかんで引っ張ってくる。でも、やっとここまで来たのだ、ずっとこのまま…… 「グランが気絶してる! 気絶してるのよ!」 えっ、とアイは目を開いた。 目の前にいるグランが白目を剥いている。 「グ、グラン!?」 アイはようやく唇を離した。グランはぐったりと倒れ込んだ。 「なななっ、なんで!?」 「アイ、くっつけっぱなしはダメだ。鼻でしか呼吸ができない。君の肺活量なら気にならないかもしれんが、グランには耐えられなかったようだ」 リノはグランの手を取る。 「こりゃ、まずいわ。ミランダ、騎士団のプリーストを呼んで来て! それから電撃魔法が使える人はいる!? とにかく、広場まで運ぶわよ!」 「急げ!」 グランは観客やミハイルたちに担がれてゲートへと向かっていった。 ぽつんと取り残されたアイは、しばらく呆然としていた。 「お姉さま……」 セーナが後ろにいた。泣いているが、表情は笑顔だ。 「大丈夫です。グランがこのまま死んでも、私がいますから」 アイは、「あは、は」と乾いた笑い声を出すしかなかった。 |