王都マグンは、南ゲートを少し行ったところにあるサン・ストリートの酒場「ルーザーズ・キッチン」。 ばしん、と、乾いた音が店内に響いた。 「最低」 女性はそう言うと、きびすを返して店の外へと出ていった。 頬を腫らしたソードマンのロバート・ストラッティは、ただそれを見ていることしかできない。彼はしばしの硬直の後、がくり、と肩を落とした。 「また……やっちまった」 「わーははははは! おもしれー! あいつ、またフラれたぞ!」 その様子を見ていたグランは大声をあげて彼を指さした。 「おい、やめろよグラン。その反応はさすがにひどいぜ」 そういうリブレもちょっぴり笑っている。 「……ロバート。まあこっちに座って一杯やれや。奢りだ」 グランとリブレの二人に半分本気の拳骨をくれたマスターは、カウンターの椅子を引いた。ロバートは、死んだ目をしながらよろよろとテーブルに突っ伏した。 「ロバート、これで何回目だ?」 マスターはグラスを置いて、彼を見る。 「……五連敗です」 「そりゃ、ひどいな。こんな時に聞くのは申し訳ないとは思うが、何が悪いか自分でわかってるか?」 ロバートは顔を上げ、グラスを一気に空にした。 「ええ、わかってるつもりです。今回は、がっつきすぎました」 「ほんと、バカね。会って二日で告白なんかして、うまく行くわけないじゃない」 一部始終を別のテーブルで見ていたミランダが近づいてきた。ロバートは露骨にイヤそうな顔をした。 「うるさい。オレはいけると思ってたんだ。彼女と通じあってると信じてたんだよ」 「たった二日で見知らぬ女子と通じあえるなんて、ロバート君はすごいね!」 また、グランに拳骨が行った。マスターはロバートの肩を叩いた。 「ロバート。焦る気持ちはわかる。オレだって若い頃は失敗続きだったさ。でもその気持ちが更なる失敗を生んじまうんだ。とにかく落ち着こう。ほら、グランたちとマリーちゃんのとこでも行ったらどうだ?」 「いや、オレはいいんです……」 ロバートは席を立った。 ロバートは目を伏せながら、自宅へと向かった。 どうしてだめなんだ。どうしてオレだけ失敗するんだろう。 友人のコリンズは、この間彼女と別れたと思ったら、もう新しい女の子と付き合いだした。彼の元彼女であり、友人のミランダは毎日のように男を変えて遊んでいる。……いや、これはこれで、あまりよろしいこととは思えないが。 自分には、はっきり言って自信がある。ギルドでもそこそこ活躍しているし、今のまま行けば、もう少しでクラスも上がりそうだ。 肉体もどうだ。盛り上がった筋肉に堅い胸板。 どうして、それなのにふられちまうんだろう! 「あーあ」 ロバートはため息をつきながら、空を見上げた。 きれいな青空が広がっていた。ただ、町中だと城壁と高くそびえるマグン城が邪魔になって少し狭くなる印象だ。きっと何ひとつ遮るもののないトンカ平原で見あげると、最高の気分になれるだろう。 よし、気分を変えよう。 ロバートは南門へと向かった。 城壁から少し離れた丘まで歩くと、ロバートは寝転がって改めて空を見た。すると、彼の視界は青い空間で埋め尽くされた。 やはり、こちらに来て正解だった。ロバートは自然に笑顔になっている自分に気がつく。 次だ。そう、次がある。 たとえば今日、このままここで寝そべっているとして、可憐な少女が近づいてくるのだ。そう、彼女も空を見るのが好きでさ。最初はなんでもないんだけれど、そのうちにお互いが気になるようになって……。 ロバートはしばらく、そんな妄想にふけった。 次だ。次の善し悪しですべてが決まる気がする。既に五連敗だ。次のチャンスだけは、絶対に逃してはならない。 来てくれ。そんな運命が、今日来てくれ。 「……まあ、人生そんな甘くねえか」 ロバートはそのままうたた寝をはじめた。 「なにをしてるんですか」 しばらくまどろんでいると、ロバートの背後から、女性の声が聞こえてきた。 まさか。本当に来たのか? 「……いや、空を眺めるのが好きなんだよ」 自然な雰囲気を出しながら、彼はあえて振り返らずに、ゆっくりと答えた。女性のくすりと笑う声が聞こえた。 「ああ、わかります。ここは見晴らしがいいですからね。私も好きなんですよ。特等席を取られちゃった」 理想的な反応だ。やった。思わずガッツポーズを作ってしまう。 「悪いね。なんなら、一緒に見るかい?」 ロバートはできるだけかっこいい顔を作って振り返り、女性の顔を見た。 「えっ、いいんですか?」 そこには、オーガがいた。 「うっ!?」 ロバートは身構え、思わず抜刀するところだった。違う。オーガじゃない。よく見ると人間だ。だが、オーガが人間の服を着ていると言われても、納得できてしまうかもしれない。 「……どうしたんですか?」 オーガ……ではなく女性は、訝しげにする。 「い、いや。座りなよ」 なんてことだ。神はオレに、なんという選択を迫って来やがったんだ。 というか、決して可憐じゃないぞ、コレは。 女性はロバートの横に腰掛けた。妙に距離が近い。 「オレ、ロバート・ストラッティ。君、名前は」 「エルーガ・オームです。ロバートさんって、もしかして冒険者ですか?」 ロバートがそうだと言うと、エルーガは「きゃあ」と小さく言った。彼にはそれが、オーガが言ったようにしか見えず、すこし気分が悪くなった。 その後、二人は他愛のない話をした。エルーガはマタイサの町とマグンを行き来する行商人とのことだった。 話をしながら、ロバートは迷っていた。 「次の機会」は確かに来た。そしてこの距離、明らかに脈アリだ。共通の趣味もあり、話もはずんでいる。 しかし、彼女の顔はどう見てもオーガそのものであり、これでどうして街に入れてもらえるんだろう、矢とか飛んで来ないのだろうか、そんなレベルだった。 だが、人を外見だけで判断するのはよくない。 なかなか純真そうじゃないか。ロバート、いい感じじゃないか。このチャンスが最後かもしれない。今日を境に、女性に相手にもされなくなるかもしれない。 「……どうしたんですか?」 また、エルーガが不思議そうにする。 「あ、あはは。なんでもないんだ」 「変な人ね。あなたみたいな人、なかなかいないわ」 エルーガはぎりりと眉をつり上げた。どうやらほほえんでいるらしい。ロバートは昔、オーガに追いかけられた時のことを思い出した。 「き、君もね……」 ロバートは思った。 これがもしかしたら、最高の恋のスタートなのかもしれない。 確かに彼女はオーガだ。いや、人間だけれども、顔はオーガだ。 しかし、好きになれば、恋が始まれば、そんなものは消えてなくなるかもしれない。 そうだ。神は確かに運命的な出会いをくれたのだ。 二人は、いつしかほとんど密着するようにして座っていた。 「なんかいいですよね、こういうのって」 エルーガは風でゆれる髪を撫でながら言った。 「そうだね」 ロバートが寝そべるようにすると、彼女もそれをまねした。二人の手は、ちょっとだけ触れている。 いける。これが運命なんだ。ビジュアルだなんて……愛にそんなものは関係ない。ロバートは心を決めた。 「エルーガさん、どうです? この後お茶でも」 「えっ」 エルーガは、突然がばっと体をあげた。 「……どうしたの?」 ロバートが問うと、彼女はそのまま立ち上がって後ろに下がった。表情はオーガのままなので、どういう意味合いなのかはわからない。 「困ります、そんな……ロバートさん、もしかして勘違いしちゃいました? ごめんなさい。私、そんなつもりじゃなかったんです。まあ、ちょっといいかもと思ったのは事実ですけれど……ごめんなさい、勘違いさせちゃって、本当にごめんなさい。はっきり言って、そういうのって迷惑です……。あ、私そろそろ行きます」 エルーガはいそいそと荷物をまとめ、丘を降りていった。 ロバートはしばらく表情も変えずに無言でいたが、彼女を追うようにして丘を降りた。 ロバートは街道を歩くエルーガに追いつくと、彼女の腰に腕を回した。 「きゃあ! ……ロバートさん、まさか追ってくるなんて……。本当にごめんなさい。こんな短時間で夢中にさせてしまって……。でも情熱的な方なんですね。私、なんだかちょっとうれしくなって」 ロバートは歯をならして腕に力を入れた。 「……うるせえええええーーーーーっ!」 ロバートは勢いをつけながらエルーガを持ち上げ、体をブリッジさせて地面に叩き付けた。 |