王都マグンは、サン・ストリート内にある酒場、「ルーザーズ・キッチン」。 「あの」 アイがいつものように昼食を取っていると、ある女性に声をかけられた。 華奢で、ちょっと暗い印象の女性だった。地味な服装と、眼鏡のせいもあるかもしれない。顔立ちも平凡だ。 「リブレさんとグランさんは、今日はいらっしゃらないのですか」 「えっ」 アイは困惑する。 あの二人に何の用だろう。 「たぶん、あいつらは郵便配達だから、一時間もすれば戻ると思いますけど」 「そうですか。ならいいんです」 女性は残念そうにして、店を出ていった。 アイは首を傾げたが、すぐに残りのハンバーグにとりかかることにした。 しばらくして、あの二人が戻ってきた。今日も何か言い争いをしているようだ。よくも飽きないものだとアイは思う。 「おい、ふたりとも」 着席した二人の間に割って入ると、グランは不機嫌そうに彼女の顔を見あげた。 「なんだよ。今忙しいんだけど。リブレ、だからさっきの子は俺に声をかけたんだって」 リブレはテーブルをたたいた。 「違う。それはうぬぼれだね。明らかに俺のほうを見てたもの」 どうやら女性に声をかけられて、それがどちらに対してなのかという争いらしい。アイはうんざりした。 取り合うのなら、もっといい女がここにいるじゃないか。 「ああ、もう。忙しそうだから手短に伝えるよ。さっき眼鏡をかけた女の人が来て、あんたらを探してるような感じだったよ」 すると、二人はぴたりと言い合いをやめて彼女を見た。 「どんな人だい」 「うーん、ちょっと暗い感じで、眼鏡は銀色。背丈も小さくて、リノくらい」 「行くぞ!」 二人はものすごい勢いで立ち上がった。 今まさに扉に向かおうとしたその時、例の女性が店内に入ってきた。 「あっ、リブレさん、グランさん。戻られたんですね」 二人は大きな声で言った。 「マリーちゃん!」 アイは思わず目を見開いた。 「なによ、マリーの顔を知らなかったわけ? まあ、あまり外に出てこないのは確かだけれど」 その夜、リノが呆れた様子で言った。 「うん。あたし、サン・ストリートの道具屋は使ったことがなくてさ。それで、その……」 「確かに意外な外見よね。あんなイモっ子が、どうしてちやほやされるんだか」 アーチャーのミランダ・リロメライは不満げにジョッキをあおった。リノはそれを見てため息をつく。 「わかってないのね、ミランダ。あの平凡な感じが逆にいいのよ。手が届きそうだと思わせて、モテない連中を夢中にさせてるわけ」 現に、金さえあればある程度は届くし、と彼女は付け加えた。 「それで、あのバカ二人はどうしたのよ」 「うん、もう三人で出ていってからしばらく経つけど……」 アイが入り口を見ると、タイミングよく「バカ二人」が戻ってきた。だが、目に生気がない。 「もう、おしまいだ……」 リブレはぐったりしてテーブルに腰掛けた。 「神よ。こんな仕打ちは残酷だ……」 おそらく、神なんか全く信じていないであろうグランも同じ様子だった。 「どうしたの、ふたりとも。まるで世界の終わりみたいな顔してるわ」と吹き出すミランダ。しかし返事がない。 そこに、また別の男が入ってきた。グランたちと同じような表情をしている。 「ジョセフじゃん。めずらしいわね」 書店のジョセフ・マルティーニはリノの言葉を無視して、よろよろとグランの肩に手をかけた。 「さっき、おまえらの立ち話が聞こえたんだけど。うそだよな。うそだって言ってくれ。いつもの、たちの悪い冗談なんだろ」 グランはかぶりを振った。 「本当だ」 ジョセフは仰向けに倒れた。 「そんな……マリーちゃんが、仕事をやめるだなんて!」 この噂は、瞬く間にサン・ストリートじゅうに広がった。 すでに男たちの偶像となりつつあったマリーの引退。誰もが信じられないといった表情を浮かべ、そんなことは嘘だとヒステリックに叫ぶ者もいた。しかし、マリー本人がそれまでの「客」を訪問し、引退の事実とその理由を伝えると、すぐに事態は沈静化した。ある者は絶望して部屋を出られなくなり、またある者は、冒険者を引退して故郷へと戻ったという。 引退の理由は、彼らをあきらめさせるには十分すぎる内容だった。 彼女は、結婚を決意したのだ。 「納得が、いかねえ」 数日後、ついに立ち直ったグランが言った。 「そりゃ、みんなそうさ。でも、しょうがないことじゃないか」 リブレはまだ、現実に打ちひしがれては涙で枕を濡らす生活を余儀なくされている。 「バカ野郎! マリーちゃんが一人の男の物になるだなんて、許されることじゃねえ。それだけじゃない、こんな噂もある」 グランはワンテンポ置いて言った。 「結婚相手は、俺たちと同じ『客』らしい」 リブレの瞳に、輝きが戻った。しかしこの輝きには、彼が滅多に見せない憎しみのようなものが含まれていた。 「なんだって」 「もちろん、噂だから真実のほどはわからねえ。だがリブレ。そんなことが許されていいのか」 「いいわけがない。ぬけがけだ」 リブレはほとんど間髪入れずに叫んだ。 「だったら一度、調べに行こう。真実を確かめてこそ納得できる」 二人は聞き込み調査を敢行した。するとグランが聞いた噂の通り、マリーの結婚相手は彼女の「客」であることが判明した。もちろん、怒り心頭のふたりであったが、ある剣士は彼らにあきらめるように諭した。 「どうしてだよ!」 地団太を踏んだグランに対し、剣士は「俺にもそんな時期があったよ」と肩をすくめた。 「相手は貴族なんだぞ。無駄だよ」 貴族。王都マグン創生に関わったとされる人物らの末裔で、土地の所有権をはじめとした、多くの特権を持っている。現在の王が制定した土地権利解放法によって、近年は少しずつ力を失い始めているものの、その影響力はいまだ健在である。 二人は城を囲む第二城壁をぐるりと回る形で、マグンの北部までやってきた。貴族たちはたいてい、この北部に居を構えている。 「おい、憎き貴族野郎の名前はなんて言ったっけ」 リブレはくしゃくしゃのメモ用紙を鞄からとり出した。 「リーベルト・ヨハンソン。なあグラン、さすがに貴族じゃ相手が悪かないか」 グランは拳を握った。「冗談じゃない。俺はあきらめないぞ。たとえ貴族だって、やっていいことと悪いことがある」 リブレはちょっとあきれてしまった。この熱意を、少しでもクエストに向けてくれればいいものを。もっとも、彼も人のことを言える立場ではないのだが。 リーベルトの家はすぐに見つかった。緩やかな傾斜に建てられた、大きな家だった。 二人は言葉を失った。彼らが仮に、この先二十年クエストをこなして貯金したとしても、こんな住居を構えることはできないだろう。 「なんだね、君たちは」 後ろから声をかけられて振り向くと、そこにはこぎれいで、ぴっちりとした服をまとった男が立っていた。 「ここのリーベルトって奴に用があるんだ」 グランが小さな声で言うと、男は目を細めた。 「リーベルトは僕だが。まさか、君たちもかい」 リーベルトが顎に手をやると、その後方から突如、ふたりの男たちが現れた。 「きさまがリーベルトだな」 外見からして、剣士と魔術師であった。二人とも、ものすごい形相でリーベルトのことをにらんでいる。グランたちは、そのふたりに見覚えがあった。 「覚悟!」 魔術師は魔力≠練り、剣士は剣を抜いてリーベルトに襲いかかる。 しかし、リーベルトは落ち着いた様子でポケットから銀色の指輪を取り出すと、それを眼前にかかげた。 すると、彼の周辺に空気のゆがみのようなものが起こった。剣士の持つショート・ソードがそのゆがみに触れると、鈍い音をたててまっぷたつに折れてしまった。 魔術師は空中に造った氷の矢をリーベルトへと発射する。しかし、ゆがみにぶつかると、またしても派手に打壊した。 「お疲れさま」 リーベルトが握っていた拳をぱっと開くと、ゆがみから魔力≠フ塊が放出された。リブレとグランも巻き込み、周囲のものをどんと強く吹っ飛ばした。 「またか、困ったものだよ。マリーと結婚することを決めた途端にこれだ」 さっきの二人が道ばたにたたきつけられて伸びているのを確認したリーベルトは、ため息をついてグランたちを見た。 「それで。君たちはどんなご用だい」 ずっこけたまま、二人が何も言えずにいるのを見ると、リーベルトはふっと笑って家へと戻っていった。 「いってえ。なんだよ、さっきの魔法は」 起きあがって、しばらく沈黙していたリブレがグランを見る。 「今のは魔法じゃねえ。魔具だ」 魔具。精錬した魔石を取り付けるなどしたアイテムのこと。身につければ魔力≠練ることができない人間でも、魔法に似た力を扱うことができるようになる。主にリスタルで生産されており、指輪や腕輪など、装飾品風のデザインが貴族たちのトレンドとなっている。もちろん高級品である。 「あんなのがあったら、勝ち目ないじゃないか。もう戻ろうぜ」 「いや」 グランは、さっきの二人を見つめた。 「まだ道はある」 |