グランは思った。こいつは異常事態だ。 リブレが目の前で、緑色のバルーンを倒して見せたのだ。それも一撃で。 「ははっ、軽いもんだ!」 自慢げに剣を鞘に納めたリブレは、顔つきすら変わったように見えた。いつもより眉がきりっとしていて、頼りなさのかけらもなかった。 「おつかれさま」 そして、リノがリブレの傷を癒している。しかもその後、金を請求しない。やはり異常事態だ。 「なあ、なんかお前ら、こないだから変じゃねーか? リブレ、呪われてんじゃねーの」 リブレはするどいまなざしでグランを見た。 「そんなわけないだろう」 「変なのはグランのほうでしょ、さっきからぶすーっとしちゃって」 仕方のないことだった。先ほどから二人でこそこそと話していて、グランは疎外感をひしと感じていた。 特におかしいのはエンカウントした時だ。リノはリブレをしばらく隠すようにして、なぜか「エアコート」をかけている。奇妙だ。 こいつら、なにか隠していやがる。 ふたりが付き合っているという噂は、グランも聞いている。 だが、そんなことは関係なかった。 明らかにそれ以外のなにかを自分に隠している。それがもう気に食わなかったのだ。 グランはためしに、エンカウントした時に、走って裏に回りこんでみることにした。 しかし、リノがそれを横目で確認すると、驚いたことに彼に見えないよう移動した。 「おい、なにを隠してる!」 「……見たら、ひどいわよ」 リノの迫力に負け、グランはひとまずあきらめた。 こういう時の彼女は、モンスターより怖い。 「おい、どういうことなんだよ!」 グランはその日の夜、リブレの家に押し入ることにした。しかし扉を開くと、現れたのはリノだった。 「なに?」 「リブレに会いたいんだけど」 「無理」 「てめー、ふざけるのもたいがいにしろよ。二人でなにしてんだ、教えろ!」 リノはしばらく黙った後、頷いた。 「仕方ないわねえ。私たち、付き合っているのよ。それで今は……」 リノはグランに耳打ちをした。グランは顔色を変えて飛び上がった。 「うげぇ、おめーらなんてマニアックなことを! そんなの想像したくねぇ、やめてくれ!」 「楽しんでいる途中でドアをたたくなんて最低よ。早く戻らないと、彼が待ってるわ。なんならグランも一緒にどう?」 グランは悲鳴をあげて逃げ出した。 グランを見送ったリノはため息をついた。奴をまくためとは言え、今のはリスクの大きな選択だった。 リノがドアを閉めると、中ではリブレがソファでつまらなそうにしていた。 「なあ、今のグランだろう? 何か用があったんじゃないのかな」 「知らない。帰っちゃった」 「あと、君はなんで、この間からうちにいるんだい? 心配しなくても、プレートのことは話さないよ」 リブレ一人じゃ心配だからに決まってるでしょ、という言葉を飲み込んで、リノは笑った。 「私はここにいたいからいるだけよ」 リブレはその言葉に衝撃を覚えた。リノが、いたいからここにいる。つまり、好きってことなんじゃないのか! 「なんだ、そうだったんだ。初めからそう言ってくれればよかったのにさあ。ね、ねえそれじゃあ夜も深まってきたことだし、さっそくさ……」 「あ、それ以上近づいたら殺すわよ」 「……リノは、意外に恥ずかしがり屋なんだなあ! まあいいさ、お楽しみはおいおいね!」 リブレはすっかり有頂天になっている。 それから数日が経った頃、ついにグランが手がかりをつかんだ。ここ数日、アイの様子がおかしいことに気がついたのだ。 問いつめたところ、本人も決心がにぶっていたらしい。彼女はむしろ喜んでと言わんばかりにそれを教えた。ただし、誰にも言わないという条件つきではあるが。 「ああ、すっきりした。やっぱあたしゃ、隠し事は向かないよ」 アイはグランを見る。彼は、どうも拍子抜けした様子だった。 「そんなくだらない理由だったのかよ……それにしても、バカかあいつ。そんなプレートだけで強くなるなんてこと、あるわけないのによ。いや、バカだから強くなるのか……」 「でもいいじゃん、最近ちょこちょこ活躍してるみたいだし。グランもさ、約束通り、このこと黙っといてよね。言いふらしたりしたら、リノが怖いよ」 グランはにんまりして目を輝かせている。アイはそれを見て、軽はずみな行動を取ったことを心から悔いた。この男が、そんな約束を守るはずなかった! 「グラン!」 「わかったよ、守るから。じゃあな」 アイの制止も聞かず、グランは走り出した。 「面白いことを、思いついちゃったぜ」 リノはトンカ平原の青空を見上げながら、うんざりしていた。 リブレにつきっきりの生活をはじめて、約二週間あまり。彼はそこそこよく働くし、7:3という破格の待遇もあって、リノの貯金は順調なスピードで貯まっている。 まさにいいことづくめ。の、はずだったのだが。 「リノ、終わったよ。あぁ、つっかれたなー、早く愛の治療が欲しいなぁ」 リノは無言で治療を始めた。 「おっ、きたきた。治ってきたぞ。さすがだ、愛のパワーだね」 リノは彼を殴り殺したくなるのを押さえた。 リブレはすっかり天国の住人のような顔つきになって、リノのことを見つめている。 はっきり言って、彼女にとってこの、バカな勘違いは死ぬほど迷惑であった。 リノの天秤の片方が、キリキリと音をたてて上がっていった。もちろん下に位置するのは金、すなわちゴールドだが、この男のおかげで、どんどん重さを失っていき、ついには平行線までたどり着いた。 「はい、終わり」 「えっ、この部分が終わってないよ」 リブレはとくに傷のない、自分の顔を指さす。なにを言っているのだ、この男は。 「ごめんね、顔が悪いのは魔法じゃ治せないの」 「わはは、面白い冗談だね。顔の部分はさ、君が恋しい病さ。さあ、愛の口づけを僕にくれ!」 リノの天秤が、恐ろしいスピードでガタン、と位置を逆転させた。お金は、どこかに飛んでいった。 「あー、もー! もういいわ。こんな茶番は終わりにしましょう。まずその気持ち悪い勘違いからやめてね。私、リブレのことなんてなんっとも思ってないんで。いつからこうなったか覚えていない? あんたが大事にしている板きれがあるから、私はここにいるの」 リブレはまだ笑っている。 「おっ、いいね。雨降って地固まるっていうし、ちょっとくらいはこういう展開もありだね。でもプレートのことを板きれなんていうのは、よくないな。これは君の一族に伝わる大事なものなんだから」 もうだめだ。 リノはついに頭に来て、リブレからプレート、いや板きれを奪い取って、投げ捨ててしまった。 「ああっ、なんてことを!」 リブレもさすがにたじろいだ。 「あんなの、ぜーんぶ嘘よ。全く、おめでたいヤツね!」 リブレの動きが硬直する。 「え……そんな、うそ? その、うそってのが、うそなんじゃないの?」 一瞬にして、天国から地獄であった。リブレはもうろうとした様子で、ふるえだした。 「あの板は、コリンズが武器職人に作ってもらったおもちゃなのよ。この前の狩りで、あんたがやる気出さないからでまかせ言ってやったの。まあそんなにこたえるとは思わなかったけどね」 リブレは口をぱくぱくさせ、遠い目をした。リノは気分爽快であった。 「ふつう、こんなのにだまされるかしらね? 全くリブレって単純なんだから。ほーんと、あんたって……」 そこに、ぬっとモンスターが現れた。 オーガだった。 「……最高! あんたって最高! さっきの話全部うそだからね! 愛してる!」 しかし、リブレはまだ地獄の世界をさまよっている。リノはプレートを拾い上げるとリブレに渡して「エアコート」をかけた。 「リブレ君! オーガよ、オーガ! ぼーっとしてないで、ほらプレートの力を解放して!」 「うそだなんて……全部うそだったなんて……」 リブレはそれでも戻ってこられない。リノの天秤がまた動き出す。 「ほら、愛の治療も!」 リノは言って、リブレの口に唇をあて、舌をからませた。命を失うよりはマシだった。 さすがにこれは利いたようで、リブレの顔は一瞬にして上気した。 「かかってこいや、オーガ! 今の俺は無敵だー!」 リブレは感動で涙を流し、雄叫びを上げながら剣を引き抜いた。奇跡の復活。リノはガッツポーズした。逃げるには十分だ。 「リブレ、さすがに二人じゃ厳しいわ。ここは逃げるが勝ちよ。さあ、愛のかんしゃく玉を!」 「それもそうだな、よし、まかせろ!」 リブレはかんしゃく玉を投擲し、オーガに命中させた。 オーガは意表をつかれて混乱している。二人はゆうゆうと駆けだした。 その時、前方から誰かが走ってくるのが見えた。こちらに手を振っている。 「ありゃあ、グランか」 「いたいた。おーい、リブレー!」 グランはにやにやしながら、ふろしきを背負っている。 「いったいどうしたんだよ」 「いやあ、リブレ先生。最近はご活躍されてますね。いやはや、さすがは勇者ルイスのプレートとやらでございます。恐縮ながら、そんな先生に、プレゼントをご用意しました。どうぞ!」 グランがふろしきを投げつけるようにして開くと、そこらじゅうに勇者ルイスのプレートがちらばった。 「ちょ、ちょっとこれ!」 リノが叫ぶ。やられた。 「え……これ、プレートじゃん。そっくりじゃん」 うろたえるリブレの様子を見て、グランは大爆笑した。 「だーっはっは! それを作ったっていう武器職人にもう一回作ってもらったんだよ! 型を取ったから量産できるようになったってよ。これからマグンみやげとして有名になるかもな! おっ、いい顔してらあ。リブレさんこっち見てー!」 「リ、リブレ、だまされないで! 私たちの愛の力で!」 しかし、もう遅かった。 リブレはまた震え出した。 「じゃ、じゃあリノの話も本当だったんだ……ってことは、今まで生身のままで、あのモンスターたちに挑んでたってことになるわけか……シェイムだとか、緑色のバルーンだとか、ぜんぶあれ……生身のままで……なんてこった。全部死ぬかもしれなかったんだ。ああ、なんてことをしていたんだ……」 リノはまだあきらめない。なんとかしなきゃ。とりあえずグランにボディブローを食らわせて、芝居がかった様子でリブレの前に立った。 「そうよリブレ。あなた生身のままでも倒せたのよ。そう、プレートなんて関係ないわ。確かに私は嘘をついたけど、あなたに自分の強さを知って欲しかったのよ。そう、あなたは強いのよ!」 グランがわき腹を押さえながら立ち上がった。 「むだだって」 「じゃあ、あんたも一緒に死んでくれるわけね」 リノは後ろを指さした。グランが見ると、オーガがのしのしと近づいてくるのが見える。それも結構なスピードで。怒っているのがここからでもわかる。 「お、おい。あんなのがいるなんて聞いてねえぞ!」 「あのオーガから逃げようとしたところで、どこぞのバカがやってきたのよ」 「そうだ、『リターン』使って逃げればいいじゃんか!」 「できたらやってるわよ。あれは元々魔術師寄りの魔法よ。スクロールがないとできないの」 グランも、一気に地獄へ落ちた。 「リっ、リブレすまん! 俺が悪かった! かんしゃく玉、ホレっ、あるだろ! 早く投げてくれ! おい、しっかりしろ!」 「立ち直ってリブレ! プレートがなくたってやれるわよ! ほら早く逃げないと!」 二人は必死に言ったが、リブレはゆっくりと涙を流し、そして泡を吐いて倒れた。 二人の呼び声だけが、トンカ平原にむなしく響きわたった。 |