あっと言う間に日曜になった。グランはあれから授業に使う備品を露店で揃えた。 「だいぶそれっぽくなったじゃないか」 部屋を見回したリブレが言った。 「まあ、ちょいちょい足りねえもんはあるけど、最低限は揃えたつもりだ。教科書もジョセフから格安で仕入れられたし、見た目よりは金はかかってないんだぜ。よっしゃ、お嬢さんたちを迎えにいこうか」 二人は「ルーザーズ・キッチン」へ向かった。 「グランちゃーん。やっと来たわねぇ」 まず飛び込んできたのは、ふらふらにできあがったリノであった。 「おい、なんで飲んでんだよ! 今日はリハーサルって言っただろうが!」 おかんむりのグランに対し、アイはおろおろしている。 「ごめんよ……今日のクエスト、クライアントがやな奴でさ。リノ、機嫌悪くしちゃって」 「全く、勝手な女だぜ!」 グランがそんなことを言うので、話を聞いていたマスターは思わず笑いそうになった。 セーナを見ると、なんと彼女も飲んでいる。 「いいじゃないですか。今日はリハーサルなんでしょ? グランさんだって『気付けの酒だ』とか言って普段のクエストでも酔っぱらって来るくせに」 「いいんだよ。どうせ俺大したことしないんだから」 「よくねーだろ。」 みんな同時に突っ込んだ。 かくしてリハーサルが始まった。 「えーとだな。明日やるのは参考書の二十三ページだ。とっとと開け」 黒板の前に立ち、グランは偉そうに教壇代わりのテーブルをたたいた。リブレが真っ先にページを開いた。 「『魔術の構成』ってとこか」 「そうだ。おめーらはどうせ魔法のことなんてちっとも知らねーんだろうから、基本中の基本である、魔力≠フ起こし方から勉強するぞ。あと、俺のことは呼び捨てじゃなくて先生と呼ぶように。アイ・エマンド起立!」 アイはいすを鳴らして立ち上がった。 「お前が一番バカな設定ね。まったく魔術について知らないお前に合わせて授業をしていく。まあそんな設定付けしなくても、ダントツでお前が一番バカだけど」 「よーし。はい、先生!」 ものすごくバカにされているはずのアイは、なぜかノリノリである。 「グラン先生、私は?」 セーナが自分を指さす。 「んー、そうだな。どんな設定がいいか言ってみろ」 「えーと、お姉さまのプリンセスがいいです」 もちろん却下された。 「俺は?」 「リブレは設定とか作るとすぐテンパるから、自然体でいい。いつもの自分でいろ。そんでリノは」 その時、ドアがノックされた。 「誰だい? 取り込み中なんだけど」 「グラニール? 私よ」 教室はにわかに凍り付いた。 ドアをあけると、やはりミレーヌがいた。 「あ、姉貴? ど、どうしたのかな。来るのは明日だったはずじゃあ」 うろたえるグランを見て、ミレーヌが少し笑う。 「あら、そうだったかしら? とにかく見に来たわよ。あら授業中だったかしら、ごめんなさいね皆さん」 本当に勘違いなのか、それとも計算なのか。ミレーヌは偽りの教室に足を踏み入れた。 グランはしばらく無言だった。 「私のことはいいから、授業を始めて」 ミレーヌが言ってもグランは、生徒たちをじっと見つめていた。 全員が承知した。 予定変更。今からが本番なのだ。 「よし。後ろの人はみんな気にせず、本日も勉学に励むように。全員参考書の二十三ページを開いて」 グランは声色を変えて言った。さまになっている。本当に長年教師をしているかのような貫禄すら感じられた。 アイが手を挙げた。 「アイ・エマンド」 アイは目を輝かせ、満面の笑みで言った。 「先生! 二十三ページの開き方がわかりません!」 教室内に冷たい風が吹いた。 グランは魂が抜ける思いだった。 この女(バカ)、開始十五秒でいきなり全部ぶちこわしにしやがった。よけいなことを言うんじゃなかった。 ミレーヌが不審な様子でアイを見つめた。グランはあわてて取り繕う。 「リ、リブレ・ロッシ! 今日から入った、頭がかわいそうなアイちゃんのぺージを開いてあげなさい」 ミレーヌがああ、なるほどという顔をする。リブレはアイの教科書を手に取った。 「えーと、二十三ページ、にじゅう……」 リブレは必死にページをめくる。だが、どうも様子がおかしい。 「リブレ、どうした」 リブレはこちらを向いた。目が泳いでいる。すでにいつもの自分を失っている。 「せ、先生。二十三ページとはどういうページでしょうか?」 グランは叫びそうになった。おめーも、いきなりテンパってんじゃねぇ! グランは二人の参考書を取って二十三ページを開いた。 「えー、本日は『魔術の構成』から。君たちも知っているように、人間やモンスターが持つ魔石には、魔力≠ニ呼ばれる力が宿っている。これを自由に引き出し、錬成、錬磨を経て展開させることを魔術、または魔法と呼びます」 アイが手を挙げた。 「先生! バカだからわかりません!」 グランは涙が出そうになった。 わかったから、もうなにも言わないでくれ、このバカ。 「おめーはちょっと黙ってろ……ここまではいいかな、セーナ・メーシーズ!」 グランは小声でドスをきかせたあと、セーナを見た。彼女は頬杖をついている。 「おーい、聞いてるか、セーナ」 「ヤダ」 「はぁ?」 セーナは目に涙をためている。 「お姉さまのプリンセスじゃなきゃヤダ」 ミレーヌがじろじろとグランを見る。これ以上はまずい。 グランはセーナに耳打ちした。 「プリンセスでもなんでもいいから、今はわかってるふりだけしてくれ。この授業が終わったら、あの女にはあとで俺から話つけておくからよ。きっと楽しい時間が過ごせるぜ」 セーナは機嫌を取り戻して頷いた。 グランはセーナに質問を集中させることによって、授業をスムーズにすすめ始めた。 「グラニール」 しばらくしたところで、ミレーヌがついに声をあげた。 「なんだい、姉さん!」 頼むからもう帰ると言ってくれ。 「さっきからずっと座学だけど、魔力≠フ実践とか錬成とかはやらないの」 グランはもちろんやるつもりではあった。しかし頼みの綱であったはずのリノは、机に突っ伏して眠っている。こんなことなら、好きではないマグンの魔術師連中にも声をかけておくべきだった。 「うーん、そうだなぁ。今日は……いいかな」 ミレーヌは残念そうにした。 「うーん、見たかったのだけれど……。じゃあ、またやる日になったら教えてちょうだい。もう一度ここに来るのはちょっと気が引けるけど、授業の様子を見るためですから」 「今の嘘ね! やります。実は今からやります! アイ・エマンド! 君から行こう! ダメでもともとだ、センスを見てみようじゃないか」 しかしアイは元気なく言った。 「いや、あたしいいです……空気も読めないバカなんで……あたしなんかいいんです、もう死んだほうがいいんです、ほんと……」 どうやらさっきの一言でこうなったらしい。凹みすぎだ。 「よし、じゃあリブレ」 リブレはうつろな目をしている。グランが手を目の前でちらつかせても反応がない。極度の緊張で気絶してしまったようだ。 グランは呆れるのを通り越して、もう笑いすらこみあげてきた。 「セーナ……」 セーナは落ち込んでいるアイの背中をさすって、グランをにらみつけた。 「イヤです」 アイの様子を見て、機嫌を損ねてしまったらしい。 グランは頭がくらくらしてくるのを感じていた。 「なによ、そこの眠りこけてる子といい、やる気のない生徒ばかりね。これだからマグンは……」 ミレーヌはバカにしたように笑った。 「なーんですって?」 リノが起きあがった。 「あなたはなにをしにここに来てるの? 生徒なんだから、グラニールの授業をちゃんと聞きなさい」 「うるさいわよ、ババア」 「そういうあなたもね。わかるわよ。あなた発育不全なだけで、けっこう年いってるでしょう」 リノはそれを聞くと、無表情になった。 グランすらたじろいだ。一番やばいパターンだ。 「二人とも、やめろよ!」 だが、その声が届いている様子はない。 「こうなったら魔法で勝負よ。まあ、グラニールの生徒をしているくらいじゃ大したことはなさそうだけれど」 ミレーヌは魔力≠練った。 「試してみる?」 リノは理力≠錬成した。 それを見たミレーヌは、とたんにきょとんとした。 「あら? あなたすごいじゃない。今のハーモニクスの淀みのなさ、とてもグラニールに教わってるなんてレベルじゃないわ。……どういうこと、グラニール?」 ミレーヌはグランを見た。 グランは教室を見た。酔っぱらい、気絶、いじけ、プリンセス。 もう笑うしかなかった。 「わかったよ姉貴、こうなっちまったからには全部話す。実は……」 その時、リノが錬成した理力≠ミレーヌに発射した。 ミレーヌはばたりと倒れた。 「はっはー! 油断してるからよ!」 リノが勝ちどきを上げた。 長いまどろみのあと、ミレーヌは目を覚ました。 「うーん」 「あ、やっと起きたな」 「グラニール……。授業は?」 「とっくに終わって、みんな帰ったよ」 グランはテーブルに暖めた茶を出した。 「途中で眠るなんてひどいぜ」 「あ、あら? そうだったかしら、ごめんね……あれ、でも確か」 「なんだよ、授業の内容も覚えてないのかい? ちゃんとやってたじゃん」 「いや、そんなはずは。確かすごくヒドい内容だったわ」 グランは肩をすくめた。 「おいおい、いちゃもんつける気かよ。最初は魔術の構成についての座学、次に錬成の実演、今後の志向についてディスカッション。その後課題の発表やって、暗唱テスト。どこも問題なかったぜ。あ! もしかして最初の方で眠っちまって、夢でも見てたんじゃあないの! ひっどいよなぁ」 「い、いえ。そんなはずは……。おかしいな……。とにかく、そんなことありえませんからね。今日は帰ります。あなたもたまには顔を出しなさい」 ミレーヌは去っていった。 物陰から、アイが姿を現した。 「さすがだね、グラン」 続いてセーナが出てきた。 「お姉さんがパニクってる間に、やりこめちゃうなんて。顔だけじゃなくて、口先もスゴいんですね」 次に、リノ。すっかり酔いは冷めたらしい。 「私のおかげなんだからね」 最後はリブレ。 「大逆転だな!」 グランは誇らしげに腕を上げた。 「ふっ。おめーらなんて最初からいらなかったんだよ! まったくひでー三文芝居だったぜ。今回は結果オーライってことにしてやるけどよ。さぁ打ち上げだ! おら、ルーザーズ行くぞ」 「やった、グランのおごりね!」 「いや、リブレ君のおごりですので好きなだけ飲んでね!」 「なんでそうなるんだよ!」 五人は教室を出た。 「あんなに喜んじゃってまあ。バレてないわけないでしょうに」 ドアの周辺で姿を消していたミレーヌは、魔法を解いた。 彼女は、本当は追いかけてリスタルに戻るように言うつもりでいたが、弟の後ろ姿を見るだけにとどめた。 「グラニールのあんな楽しそうな顔、見たことないわ。……今回は帰ることにしましょう」 ミレーヌは門の方向に歩き出した。 |