王都マグンは、サン・ストリート沿いの酒場「ルーザーズ・キッチン」。 リブレ・ロッシが熱心に何かを読んでいる。 「ねえリブレ、さっきから読んでるそれ、なに?」 アーチャーのミランダ・リロメライが聞いたが、聞こえてる様子がない。 「ああ、無駄無駄。リブレはそれ読んでると熱中しちまうんだ。こいつは『ルイス冒険記』マニアだからな。そういや、新刊が出たんだったよなあ」 ソードマンのロバート・ストラッティが笑った。 「ルイス冒険記」。マグン第三勇者であるルイス・カルバリオンの冒険を描いた娯楽小説。ルイスは遍歴騎士を経て、勇者になってから行方不明となるまでの十五年間で、六十冊あまりの手記を残した。これを元に彼の友人でもある作家トーマス・リングスが書き起こしたシリーズで、マグンでは絶大な人気を誇る。現在は、最新二十五巻までが王都内書店にて好評発売中。定価千五百ゴールド。 「ああ、勇者ルイスのやつね。あれって、どうせうそなんでしょ」 すると、熱中していたはずのリブレが、鋭い視線で彼女をのぞき込んだ。 「うそじゃない……! これは本当の話なんだ。ルイスの手記をわかりやすく書き直しているだけなんだから。この圧倒的なスリルは、想像なんかじゃ説明つかないよ。それに、作者のトーマスはルイスと旅をしたこともあるんだぞ。だから彼の口癖とか、行動とか、性格とか。その辺りのリアリティがはんぱじゃないんだ」 「そういう売り文句なんでしょ」 「おい、それ以上そいつを刺激すんな、デカパイ。もう二日寝てないんだ。何するかわかったもんじゃねえぞ。リブレもとっとと読み終えろよ。お前の寝不足は、こっちからしたら死活問題なんだからよ」 後ろの席から、珍しくフォローを入れたのはグラン・グレンである。 不名誉なあだ名に機嫌を損ねたミランダは、食事に戻った。 「おい、リブレ。この間のクエストの精算がまだだったよな。ちょっと来てくれよ」 そこに、カウンターから身を乗り出してマスターが声をかけた。しかし、リブレに聞こえている様子はない。 「おい、リブレ! リブレ・ロッシ!」 返事がない。 マスターは咳払いをして、声色を変えた。 「えっ、タダでいいのかい、リブレ君! なんか悪いなあ。でも、男に二言はないよね!」 「わあっ、まてまて。そんなこと言ってない! あのクエストは苦労したんだ、しっかり請求します!」 ようやくリブレは本を置いて立ち上がった。 テーブルに残された本を見たミランダは、それを手に取った。 「おい、やめとけよ」 ロバートはリブレの方向をちらりと見てから言った。 「ふん、リアリティがどうのって、こんなのうそに決まってるんだから。矛盾しているところを見つけてやるの」 「だったら、せめて食べるのをやめろよ。ほら、ソースでもつけたら大変だぞ」 言ったそばから、彼女のフォークから、パスタのソースが滴った。 「おいっ!」 ロバートは慌てて本を奪いにかかる。 グランは参考書を読みながら両手に魔力≠練り、重ね合わせて小さな玉を作り上げていた。 「よーし、よしよし。やっとここまで来た。もうちょっとで新しい魔法の完成だぜ。どんな名前にするかな……『剛炎』はもう使ったしなあ」 その時、ふいに後ろからどんと押された。原因は、本を守ろうと飛びかかったロバートである。 「あっ」 グランの手から玉がふわりと飛び出し、ロバートへと襲いかかる! 彼はとっさに、手に持っている本で防御を試みた。 ぼっ、と小さな音がして、本の中心部に大きな穴があいた。 三人は口をぱくぱくさせた。 「おい、こら」 グランはロバートを見る。 「ち、違う! 原因はミランダなんだ!」 ロバートはミランダを指さす。 「なによ、そんな本なんてまた買ってくればいいじゃない」 「バカやろう。『ルイス』シリーズは初版の数が決まってるんだぞ! 貴重品なんだ」 三人が硬直しているところに、精算を終えたリブレが戻って来た。グランはロバートから本を奪い取った。 「あれっ……ほ、本がない!」 リブレが騒ぎだしたところで、グランが大声をあげた。 「いやあ、おもしろいなあ、こいつは!」 「なんだ、お前か。おい、さっさと返してくれよ」 グランは振り返った。本を抱え込むようにして、うまく穴を隠している。 「おうリブレ、この本のリアリティはとんでもねえな。さすがの俺も驚いた」 「グランは前貸した時、第一巻で挫折しただろ」 「い、いやまあ、そうなんだけどよ。まいったよ、ちょっと読んでみようかと手に取ったら、もう最初の二、三ページですっかりルイスの虜になっちまった。この新刊の出来がいいんだよな」 リブレは疑わしげな視線を投げかけた。 「その二十五巻は、続き物の下巻なんだけど」 グランは心の中で舌打ちした。もう押し切るしかない。 「わはは。なあリブレ、これ貸してくれねえかなあ。家でじっくり読みたいんだけど」 「ばかいうな。俺だってまだ読み終わってないんだぞ。今いいところなんだ、返せ」 そこに、ロバートがものすごい笑顔で登場した。 「おいおいリブレ、貸してやればいいじゃないかー。こいつが一度言い出したら聞かないってのは、お前が一番よくご存じのはずだろ。わっはっはっは」 わざとらしい笑い声をあげたロバートは顔をくしゃくしゃして、後ろのミランダに合図を送った。はじめは不満げな顔をしていた彼女だが、彼の必死な様子を見てようやく手伝う気になったようだった。 「そうよお、リブレ。グランがこんなにハマってるのは初めて見たわ。でも、もしかしたらただの気まぐれかも。今貸しておけば、きっと本格的にファンになるわよ。今後二人でルイス談義ができるじゃない」 慣れた様子で、ミランダはリブレの腕をとった。伝家の宝刀・オッパイ押しつけ攻撃である。決まった。グランとロバートは視線をあわせてほくそえんだ。 「ダメだ。返してくれ。せめて二十四巻を読んでからだ」 ところが、リブレは全く意に介さない様子で、ミランダの腕をふりほどく。これにはさすがのグランも驚いた。 「ちっ、しゃあねえ。なあ、そいつはどこに売ってる?」 「俺は東広場の本屋で予約した」 「じゃあ、そこでもう一回買ってくるんだな!」 グランは魔力≠爆発させ、ふわりと浮き上がった。リブレはとたんにふっと表情を失わせた。 「どういうつもりだ」 「こいつは頂いた! 悔しかったら取り返してみな!」 入り口に着地したグランは、ロバートに意味ありげな視線を送った。ロバートはすぐに察知し、頷いた。グランは高笑いしながら外に駆けてゆく。 リブレは、いつものように大声を出す訳でもなく、ただ静かにたたずんでいた。だがミランダは彼に対し、初めて恐怖を覚えた。 「殺す……」 リブレはゆっくりとした動作で、しかし確実にするすると入り口へ向かっていった。 「ねえ見た、今の。リブレがあそこまで怒ってるの、初めて見たかも。普段のクエストでも、あのくらいの気合いでやって欲しいわね」 「冗談はあとにしろ。グランが時間稼ぎしている間に、俺たちは同じ本を探すんだ。穴をあけたことがバレたら、三人ともただじゃすまないんだからな。急ごう」 二人も酒場を出た。 グランは西を目指してひたすら走る。ロバートとミランダは東に向かうはずだ。 「ルイス絡みのことでリブレとやりあいたくなかったぜ。珍しくマジになりやがるからな」 以前「ルイス冒険記」の本棚を倒しただけで、リブレが異常なほど怒ったのを、彼は覚えている。ただ、誤ってではなくからかい半分でわざとやったことも、大きな原因ではあったのだが。 振り向くとリブレが追ってくるのが見える。その顔はなんと無表情。対照的にグランの顔はひきつり、蒼白した。 「やっべぇ、本格的にキレてやがる。いよいよもって、こいつを見せるわけにはいかなくなったな。よし」 グランは角を曲がったところで立ち止まり、魔力≠練りだすと地面に手を付いた。みるみるうちに体が消えてゆく。 「『陽炎』。聖剣の一件のあと、キッチリ完成させといてよかったぜ」 完成した「陽炎」は、ほとんど完璧に彼の体を消しきってしまった。 グランは路地裏に入り、リブレがくるのを待った。そのまま後をつけ、東門に向かうようなことがあれば再び姿を見せてようどうするという寸分だ。 リブレが角までやってきた。辺りを見回している。しばらくそうしていたが、やがて息をついて歩きだした。 グランは予定通り、路地裏から出て彼の後をつける。 そこで、リブレが振り返った。 グランは驚いて声をあげるところだった。 まさか気づいたか。いや、ありえない。奴の察知能力はモンスター限定のはずだ。 だが、リブレは正確に彼のローブをつかみとった。その瞬間、グランの姿が露わになる。うつむいている。 「どうしてわかった、って思っているだろ」 リブレは抑揚なく言った。 「俺の察知能力が『モンスター限定』とでも思っていたのか? そういうわけじゃない。『俺の敵』限定なのさ。そして『気配は残る』。そいつの弱点は、人間のもつ熱量までは消せないことだ……。ほら、本を返せ」 グランが顔をあげた。 「ほらよ」 にやけまくっている彼の腕から、光がほとばしった。彼は既に魔力≠練り上げ、呪文を完成させていた。 「うわっ!」 光を間近で見てしまったリブレは、まぶしさでたまらず目を押さえた。グランは再び駆けていった。 「ちっ、グラン! 逃げられはせんぞ!」 何も見えないリブレは、負け惜しみを言うしかなかった。 「ひゅうっ、あぶねえ。だが俺の位置がわかるのなら好都合だ。このまま逃げ続ければいいだけの話なんだからな!」 グランはわざと足音を立てて走った。 |