金田少年の奇妙な冒険



 「きたない旅館ね」
 部屋についてその言葉を聞いた瞬間、少年・金田哲雄は後悔した。古い物好きの彼女のことだから、と思って選択したこのボロ旅館だったのだが、どうやら裏目に出てしまったようだ。
 「そうかなァ……俺は好きだよ。みかだって好きだろ、こういうの」
 曖昧なことを言っておいて、なんとかするしかない。彼女、みかの機嫌を一度損ねてしまうと暫くやきもきする羽目になる。

 金田とみかの二人は、学校の休みを利用してこの旅館へとやってきた。男と女、二人っきりで旅行となると当然恋人同士だと思われるだろうが、そんなことはない。彼らはただのクラスメートだ。
 だが、金田はその 「ただの」関係を今日で終わらせようとしていた。タダで旅行できるという餌でうまくみかを誘い込み、ついに二人きりになれた。この機を逃す手はない。
 彼は今日、彼女に告白する気なのだ。

 「おっ、ほら見てみろよ。すごいぜここの景色。ボロだけど、ここにして正解だったな」
 金田が促す先には、それはもう雄大な、絶景で、すばらしい、とにかくここには書ききれないほどのファンタスティックな世界が広がっていた。ここをバックに、みかに告白する俺……と想像するだけで、金田はもうちょっとイキそうだった。

 「ただの田舎じゃん。こんなんだったら別のトコがよかったな」
 だが、みかはその妄想を見事に打ち砕いた。それは、金田が場所選びに失敗したことを意味する。
 「まあまあ。ちょっとその辺見て来ようぜ」
 涙ぐむ金田はみかを外へと促す。その時だった。


 ドッギャアアアーンッ!
 自分たちの右側の部屋から、強烈な音が聞こえてきた。二人はびくっと体を振るわせる。
 「ちょっと、いまのって……」
 みかはその音がなんなのかわかったようだった。
 「あぁ、今のって」

 ドッバアアアーーーンッ!!
 金田の言葉をさえぎって、もう一度轟音が響き渡った。二人は先刻とまったく同じリアクションをして、静まり返った部屋の壁を見つめる。
 「うるさいわね! 誰よ、楽器なんて持ち込んだのは!」
 みかの言葉と同時に、廊下からどすどすと足音が響いてきた。足音は金田たちのいる部屋を通り過ぎると、隣で止んだ。

 「ちょっと! なにをなさっているんですか!」
 仕切りが薄いのか、そこからの会話は二人にも丸聞こえだった。どうやら旅館の女将らしき女性の声が、何人かの若者に叱り付けているようだ。
 「すっすいません! こんなに響き渡るとは」
 申し訳なさそうな男の声だ。
 「ったくよー! 誰だよ、こんな旅館でライブやろうとか言い出したのはよーっ! いきなり怒られたじゃねーか!」
 いかにもな年頃の男の開き直りだ。
 「女将さん、時間をくれ。あと数分あれば俺たちのソウルを理解してくれるはずなんだ。俺たちのソウルは無敵だ。俺たちがソウルなんだ。そしてソウルはあんただ」
 先生と呼ばれネット上で騒がれそうな男の意味不明の電波飛ばしだ。

 これだけで三人がミュージシャンだとわかった。金田は舌を打った。ただでさえボロ旅館なのに、こんな人たちが隣とはついていない。我慢できなくなり、金田は隣の部屋へと走っていった。

 「ちょっと、なんなんですか!」
 金田が部屋に入って来たのを見て、女将らしい恰幅のいい女性がすぐに眉を下げる。
 「隣のお客様ですか。 どうもすみません! この人たちが! 急に! ほんとうに! ごめんなさい!」
 二人が大声になっているのは決して狂ったわけではなく、例のバンドマンたちがまた演奏を始めたせいだ。
 金田はうるさいと思うと共に、その曲の良さに少しあぜんとした。

 「漆黒の嵐がー、黄昏の君とー、翼を失った堕天使にー」
 ただし歌詞を除いて。

 「うるさーい! やめなさい! やめなさい!」
 女将はボーカルの青年の口を塞ぎ、ギターの弦をどこからか持ってきたハサミで切ってしまった。いささかやりすぎでは、と金田は思ったが非常識なのは彼らのほうだ。
 その上この女将はなんとなく 「やる」と言ったら 「やる」というスゴ味があり、下手に逆らわない方が無難だと思った。

 「ご、ごめんなさい……」
 「ババア! てめー邪魔すんじゃねーよ!」
 「何故だ! 何故俺たちのソウルをわかってくれないッ!!」
 それにしてもうるさい三人は、しぶしぶ演奏をやめた。



 「他のお客様のご迷惑になりますので、そのような行為はやめてほしいのですが」
 やめて欲しいというか、強制的にやめさせたのは彼女なのであるが、女将は言った。三人は正座している。

 「ほれみろ! できるわきゃなかったんだよこんな寂れたところで! 新品のベースでの初ライブだったのに、台無しだぜ!」
 一番近づきたくない感じのべーシストが言った。彼のピカピカの白いベースには 「シド」とカタカナで書いてあるシールが張ってある。
 彼のナリを見るに、どうやらあの伝説のべーシストを尊敬しているようだが、カタカナはないだろうカタカナは、と金田は思った。
 「申し訳ありませんでした。俺はやめようと言ったんですけど、どうしても二人が……」
 気の弱そうなギタリストはしっかりと謝った。この男は好感が持てると金田は何故か上から目線で感じた。しかし何を隠そうさっきまで堕天使がどうの、黄昏がどうのと歌っていたのは彼なのだ。人は見かけによらないと言うものだが。
 「俺には仲間がいる。こいつらだ。仲間ってのはいつもお互いを思いやれているヤツらのことさ。つまり、おかみさん、あんたとこの旅館は仲間だ。ソウルだ。」
 この男はもうどうでもいいやと、金田は目線を逸らした。

 なんでもこの三人はバンド仲間で、自分たちの曲の良さをわかってもらうためにこの旅館でライブをしようと思ったと言う。バカというか、ぶっとんでいるというか、ここまで来ると賞賛に値する。
 だが、話を聞いた女将はそんなことを思ってはいないようだった。

 「あんたたち……そこまで音楽に賭けて、ここに来たのかい。……気に入った! 地下室がある。四十秒で支度しな、好きに使わせてあげるよ」
 女将は涙を流しながら彼らの手を握った。しかし騙されてはいけない。彼女は地下室と言ったのだ。わかったふりをして、彼らを隔離する気満々なのだ。やはりこの女、出来る。

 だが当の本人たちは喜びを隠せないようで、三人は涙を流して女将の手を握り返した。
 「ありがとうございます! 俺、和也って言います。みんな、恩人に自己紹介だ」
 「ありがとよ……ババア。オレ、満ってんだ。友達からはシドって呼ばれてるけどな」
 「剛史だ。みんなからはソウル先生と呼ばれている」
 ソウルの人がやっぱり先生と呼ばれてて金田は心の中で 「吹いた」と叫んだ。




 「なによ、どうなったの」
 部屋に帰ると興味津々と言った感じでみかが尋ねて来た。金田はとりあえずどうなったかだけ話した。
 「えー! なにそれ! カッコいい!」
 「そうだね、かっこいいね」
 金田は適当に話を合わせた。みかはソウルとかああいうのに弱い傾向にあるので、近づけるのは危険だと警戒することにした。
 だが、ここで彼はそれよりも手っ取り早い方法を思いついた。
 告白してしまえばいい。
 どんな考えよりも合理的且つ理想的だ。むしろそうするべくしてなったとも言える。金田は今日この瞬間が神によってもたらされたと確信した。

 「それでよー、今日はいい天気だな、みか……」
 「なによいきなり」
 切り出し方は全くもって、ほれぼれしてしまうほど完璧だった。彼女が携帯をいじくっていることを除けばだが。
 「オレさ、その……」
 「ちょ、泡尻エリコ号泣だって! マジうける。アイツちょっと調子乗りすぎだよね。なんていうの? ビッチ?」
 おめーもビッチだよ充分! だがその思いもなんとか抑えて、次に繋げる。
 「オレ……みか、おまえのことが……」
 「え……?」
 この反応を待っていた。この分なら期待できそうだと、金田は少しにやつく。あと一歩。あと一歩で……


 「お前のことが、す」
 「だっ、誰か、きてくれえええーっ!!」
 またも金田の言葉は遮られた。声の主は、さっきまでいたミュージシャンの一人・和也のものだった。
 「えっ、なに? なんなの今の……?」
 突然の声にみかは再び呆然とする。金田は自分の告白が遮られたことよりも、ただならぬ様子の声が気になった。
 「なんだろう、すごい悲鳴だったな。ちょっと見てくる」
 「じゃあ私待ってる。報告よろしく」
 死ねビッチ、と心の中で叫んだあと、金田は声の方角へと走り出した。

 「どうしたんですか」
 地下室の入り口にある階段で例のバンドマンたちが顔面蒼白と言った感じで立ち尽くしているのを見て、金田は彼らになにかがあったのを悟った。
 「君か! い、今すぐ警察を呼んでくれないか! 早く! 今すぐにだ!」
 ボーカル兼ギタリストの和也はひどく焦った様子だった。明らかにおかしい。
 金田が地下室に近づこうとすると、剛史が手を添えた。
 「今は近づいてはいけないソウルだ」
 無視した。

 「うっ、これは!」
 地下室には妙な匂いが充満していて、金田はむせ返った。
 この匂いはたまに嗅いだことがある。なんだったかな、と考えて答えが出る前に、金田はその原因を見た。
 血。
 血溜まりができている。その先には、頭から血を流して倒れている満の姿があった。





 「死亡者は佐原満、二十五歳。今回の旅行には……む、なんだこれは。ライブ?」
 書類に目を通す四十代と思われる男性が、顔をしかめた。男性の服装はスーツに紺のジャケットと、いかにもな格好だ。
 「ライブとは音楽をやっている連中が人前で演奏をすることであります、警部!」
 近くにいる警官が敬礼し、補足を加えた。他にも警官は旅館にごった返していた。満の遺体は片付けられ、例によって白線が引かれている。白線の頭部分に出来ている血の跡を、カメラのフラッシュが取り巻いていた。
 「佐原さんは下村和也さん、早田剛史さんの二人と音楽をやっている仲間で、今日は演奏に来ていた。それで?」
 警部は書類を見ながら、視線だけ二人へと向けた。
 「そ、それで地下室を借りれることになったんです。四十秒ほどで支度して、俺たちは地下室へ向かったんですが……」
 和也はしどろもどろしながら状況を説明していた。気の弱い彼のことだ、こういう答弁が苦手なのだろう。
 「二人はたばこを吸っていて、ノンスモーカーだった佐原さんだけが先に行ったと」
 「その隙に何者かが忍び込んで、シドをやったに決まっている! 俺たちは一心同体! 俺たちにできるはずがないんだ! あんたはわかってくれるだろ、このソウルを!」
 激昂する剛史にたじろぎながらも、警部は書類に目を戻す。
 「ちょっと落ち着きなさい、早田さん。凶器と思われる楽器が出てきた以上、あなたたちも事件に関係がないというわけではありません。決して勝手に帰らないように。もっとも、たった数分で起こった上、地下室、それも窓もない密室ときた。自殺のセンもあります。あなたたち、何か彼から聞いていませんか」 
 「自殺だと! そんなことがあるはずが」
 和也は興奮した剛史を必死に押さえつけた。
 
 満は、あの数分後に頭蓋骨陥没による脳内出血で死亡した。彼の頭を打ったのは、昔使っていたという茶色いベースだった。ボディが歪み、使い物にならなくなったそれは警察に証拠品として押収されることとなった。現在は地下室に立てかけてある。
 不可解なのが、彼が地下室へと向かったたった数分後に死亡したということだ。さっきまで新しく手に入れた楽器を熱い目で見つめていた彼が、たった数分の間に自殺など考えるだろうか。

 「どうしてだ……? どうしてシドさんは自殺なんてしたんだ? どうみてもさっきまでの様子ではそんなことをするようには……」
 「何やってんのよ哲雄」
 金田は考え込んでいた。生まれて初めて見た死体の残虐さよりも、死んでしまった理由の方が気になってしまったからだ。みかは恐らく状況を理解できていない。バカなのでしょうがないのだ。

 「シド、シドぉっ!」
 それから数分後、車が旅館に止まり、急に女性の悲鳴にも似た叫び声が飛び込んで来た。シド−満の恋人のようで、彼女は彼のなきがらにしがみついていた。
 「着いたのか。大変なことになったな、玲子……」
 和也がその小さい肩に手を触れる。しかし、恋人、玲子はその手を払った。
 「アンタね……!」
 「え……」
 玲子の肩は振るえ、目は突き刺さるように鋭かった。
 「アンタがやったのね! 私にはわかるわ!」
 「な、何を言うんだ!」
 玲子は凄まじい剣幕で和也にまくしたて始める。どうやらこの三人、何か訳アリのようだ。
 「けんかはあとにしてもらいましょう。玲子さん……と言いましたかな。あなたたち、何かあったんですか」
 「そ、そんなことは」
 「こいつよ、こいつがやったのよ! 和也は私のことが好きだったの。だから愛し合っている私とシドに嫉妬して……」
 止めに入った警部は、それを聞いて和也に対する目つきを明らかに変えた。和也はうろたえてしまっている。
 「下村さん。ちょっとこちらでお話を聞かせていただけますか」
 「おっ、俺じゃない! 疑わないでくれ!」
 必死に否定する和也をよそに、警官たちは彼を逃げられないように取り囲んだあと、そのまま別の部屋へと連れて行く。


 「待ってください」
 そこに、金田が割って入った。
 「なんだね君は」
 警部が訝しがる。警官達も不機嫌そうな視線を金田にぶつけた。
 「僕はシド……じゃなくて、満さんが死ぬ直前まで一緒にいた者ですが、その人にはできません。喫煙室でせんせ……剛史さんとたばこを吸うその人を見ています。二人が大声を上げたのは僕が部屋に戻ってほんの二、三分です。喫煙時間なんてそんなもんじゃないですか。せんせ……先生、あなたは一緒に和也さんと一緒に地下室へ行ったのでしょう?」
 急に振ったので先生は少し驚いた様子を見せた。
 「あ、あぁ、そうだ。お前、俺たちのソウルをわかってく」
 「だそうです。どうです、警部さん」
 警部は少し納得したように唸る。
 「ふむ……確かにそうだが。君は彼らが喫煙室から出て行くのを見ていないのだろう? だったらそれは推測に過ぎないのではないかね」
 金田はそれを聞いて苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた。その通り、彼は二人を最後まで見ていたわけではなかったのだ。警部たちは視線を和也へと戻し、歩き出す。
 甘かった。金田は顔から火が出る思いだった。みかにいいところを見せようとして失敗した。
 「哲雄、よくわかんないけど警察の人と話してすごいじゃん!」
 バカで助かった。




 それから数時間、和也、先生、玲子の三人は警察の取り調べを受けた。その頃には、金田は告白のことなどもうとうに忘れていた。どうやら和也が疑われているらしいがそんなはずはない。彼がそんなことをするわけがない。ただ歌を一度聴いただけなのに、そう信じてしまっていた。彼の歌からは、そんな影のような物は感じなかったのだ。
 「てーつーお、つまんないんだけど。どっかいこうよ」
 全く空気を読まないみかの催促も無視して、金田は考えた。なぜだなぜだと。しかしそのままで埒があくはずもなく、思考はすぐさま袋小路へと突入した。
 「考えていても仕方ないな。みか、一回外に出ないか」
 「じゃあジュース買ってきて。私やっぱテレビ見てるわ」
 膨れ上がる殺意をなんとか抑えて、金田は外へと出て行った。

 

 旅館の一室では、取調べが着々と進んでいた。
 「下村さん、どうか落ち着いてくださらないか。まだ君を犯人だと断定したわけじゃあないんだ。」
 警部は疎ましそうな視線を机のむこうへといる和也へ送る。
 「だったらなんでこんなところで……なんでこんなところで俺に聞いたりするんです!」
 当の和也はすっかり落ち着きを失い、取り乱している。……もしも彼が犯人でないのなら、当然の反応なのかもしれない。
 しょうがないな、と言った具合で警部は煙草を取り出し、鉛色のライターで火を点けた。紫煙が窓の外へと出てゆく。その瞬間、妙な音を警部は聞いた。だが、今は和也から話を聞くことが先決だったので、あまり気にしなかった。

 「煙草なんか吸うなよ……くそっ」
 音の犯人は金田の咳だった。彼は煙草が大嫌いなのだ。その嫌煙家ぷりたるや、軽くmixiの嫌煙コミュニティを凌駕するほどだった。もしかしたら彼もどこかで 「先生」と呼ばれているかもしれない。
 金田は外に出たあと、ちょうど裏から回り込めばこの部屋の様子を伺うことができると思いついたのだ。というよりはほとんど偶然の発見だったのだが、金田は自分の推理でここまでやってきたことにした。みかのために買ったジュースは、もうとっくに汗をかき終えてぬるくなりはじめていた。

 「警部! 凶器のベースに付いた指紋、下村氏のものと一致いたしました!」 
 そこに、警部の手下である警官が入って来る。その瞬間、警部の目の色が変わる。
 「下村さん……? あなたベースも弾くんですか?」
 「俺じゃない、俺じゃない、俺じゃない……」
 和也は頭を抱えていやいやをするように頭を振った。
 「下村さん! 答えなさい!」
 警部は机をたたいた。

(本当に下村さんで決まりなのか……?)
 その様子を見て、金田がそう思い始めたその時だった。
 「違う」
 自分の真後ろに、人がいた。金田は思わず声を上げそうになる。
 「彼は犯人なんかじゃあない。警部殿は何をしているのだ」
 「な……なんだあんたは」
 金田は思わず聞いてしまう。いつの間にか後ろにいたことよりも、彼の格好が奇妙だったのだ。パリッとしたスーツを着ているのはいいが、なぜかニット帽をつけている。ここに座っているだけでも汗が噴出してくるというのに、頭がおかしいのだろうか。
 「わたしは……警察関係の者だ。」
 「じゃあ、なんでこんなところにいるんすか。行けばいいのに」
 「うるさい……四の五の言うと逮捕するぞ」
 ニット帽の男は威圧的な態度で手錠、ではなく拳銃を取り出した。逮捕というか、それでは第二の殺人が起こってしまうのだが。
 「というか、君もこんなところで何をしているのだ。ま、まさか真犯人か!?」
 「違います! 俺はただここで話を聞いてやろうと……」
 男はにやける。
 「言い訳乙」
 「言い訳じゃない!」
 ついに金田は大声を出してしまった。はっとして逃げ出したが、時すでに遅し。すぐさま警官に取り押さえられた。


 「全く、まさかこんなところで覗き見とは……」
 警部がじとっとした目でこちらを見据える。金田は申し訳ない気持ちでしょんぼりとしてしまう。
 「す、すいません。つい気になって」
 金田の言葉に、警部が意外そうな顔をする。
 「い、いや。君は別にいいんだ。君も一応参考人の一人なんだから、そんなに見たかったら一声掛けてくれればよかったのに」
 「え」
 となると……金田は視線を横へと移す。
 そこには手錠を掛けられた、先ほどのニット帽男がいた。男はむすっとした態度で椅子に座っている。
 「警部殿、これは職権乱用ではないでしょうか。わたしとしては、どうにも腑に落ちないのですが」
 「ばか者っ! 今までどこに行っていた! 前回の事件からもう一ヶ月は経っているんだぞ!」
 どうやら男は本当に警察の人間らしい。二人の言い合いは続く。
 「いえ、それは、その。実はあのヤマ、強大な黒幕が潜んでいるのではないかとわたしは踏みました。潜入調査をすべくホシの内部へと入る手段を講じ」
 「あのヤマはもうとっくの昔に解決した。仲間が吐いてな。そこからは芋ヅルだった」
 男の表情が固まる。
 「え……ではこの間のガサ入れはやはり警部殿達だったのですか」
 「お前、あの中にいたのか! そこで気づかんか! 敵に溶け込んでどうする!」
 警部が男を小突く。手錠をはめられたままの男はバランスを失い、転倒してしまった。
 「まぁいい。帰ってこなかったのは問題だが、戻ってきたタイミングが良かった。今回はたっぷり働いてもらうぞ、竜」
 そう言うと警部は、こけたポーズのまま硬直している竜と呼ばれた男の手錠をはずしてやった。
 「竜……竜だって…!?」
 その単語が発せられた瞬間、周りの警官たちの空気が変わったことに金田は気が付いた。 
 「竜……“推理の竜”“ニット帽の竜”と言った通り名を持つ刑事で、普段はお茶らけた野郎らしいが、大きな事件になると凄まじい集中力を発揮し、かなりの数の事件を解決してきたという。滅多に仕事をしないのに、おいしいところだけを持っていくので多くの警官から嫌われている、あいつがこの旅館に……」
 妙に説明口調な警官達のおかげで、よくわかった。
  
 捜査に竜が加わると、すぐに方針が変更となった。竜は和也が犯人ではないと言うのだ。
 「本当にそうなのかね? このテの殺人は、痴情のもつれが定番なのだが」
 「はっきり言って可能性がないとは言い切れません。しかし事件はたった数分のことなのでしょう。殺人であることすら疑わしいくらいです。彼への取調べは続けますが、こんな本腰を入れてやるようなことじゃあない」
 最もだった。いかにも和也が犯人のような形で話が進んでいたが、事故の可能性も充分にありえるのだ。
 「というか……はっきり言ってこれは事故か自殺でしょう。指紋が出てきたと言っても、バンド仲間の楽器くらい触れることはあるんじゃないですか」



 「ふう……」
 容疑が薄くなり、すっかり落ち着いた和也は息を漏らした。
 「和也さん」
 金田は和也の隣に腰掛けた。
 「君か。さっきはかっこ悪いところを見せたな。取り乱してしまって。コイツのせいで」
 和也は隣を見る。そこに座っている玲子はばつが悪そうだ。元はと言えば、彼女が騒ぎ出したせいでこんなことになったのだ。
 「今回のこと、やはり事故、または自殺だと思いますか」
 「私はそうは思わないわ」
 なぜか玲子から返事が返ってきた。
 「シドはそんな、自殺なんてする人じゃない。あの人はまだ希望に溢れていた。私はまだ疑ってる……誰とは言わないけど」
 「まだそんなこと言ってるのか!」
 和也はまたも激昂して立ち上がったが、玲子が目も合わさないことを確認するとすぐに腰を落とした。
 「……はっきり言ってわからない。シドの考えてることなんてわからないさ。剛史だってワケわかんないし、もうバンドやめちゃおうかな……」
 金田の眉が動く。
 「あなたたち、もしかしてそこまで仲がいいワケじゃ……?」
 それを訊くと和也はすぐに席をはずし、金田へ手招きした。恐らく玲子に聞かれたくないのだろう。彼女はそれを察してか、目を背けたままだった。


 「俺たち、実はお互いに仲違いしてるところがあってさ。」
 場所を移すと、すぐに和也は語り出した。
 「三人ともいつも喧嘩ばっかりしてるんだ。ほら、バンドってよくあるだろ。音楽性の違いってやつで解散するとか。まさにそれなんだよ。あいつらとカラオケ行っても全く知らない曲ばっか歌ってさ。カラオケって元来みんなで歌を歌いあって楽しむ場所なのに、おかしいだろ、常識的に考えて。音楽が好きってことを自負している人間はすぐにマイナーに走るから困る。っても俺もそうなんだけどさ。剛史もなんかよくわかんないことばっかり口走っててさ、シドもそうなんだけど、あいつら楽曲製作にかかわったことすらないんだぜ。なのにソウルソウルって。ソウルって何よ? わけわかんねー。ちゃんちゃらおかしいわけだが。あいつの言動がなんか最近妙に話題になってスレとかまとめサイトとか建って先生とか呼ばれてるけど、あいつはそれすらも知らないんだ。それで調子に乗ってる。まぁ俺にとっちゃどうでもいいことなんだけどさ。シドもシドであんなボロいベース使いやがってよ。音がおかしいのに気付きもしねーで、熱血してればなんとかなると思ってる。おまけに俺が先に手つけたあの女を奪ってくるしさ。マジあいつDQNすぎだろ。自重しろ。」
 話は、口を挟む暇もない速さだった。途中から完全にタダの愚痴になっている。こういうのはmixiでつい本音を書いてしまって友達を失くすタイプだ。音楽が好きな人はマイナーに走るのではなく、納得できるものに出会えることがそちらの方が多いだけだと、同じくマイナー思考で悩む金田は思った。事件に何にも関係がなさそうだったのでもう聞くのがイヤになったが、話は終わるどころか加速していった。

 「……ずいぶん、長く話してしまったね」
 爽やかを装っているが、和也の心の内は相当捻れていた。金田は和也の生い立ちからバンド結成、初体験の思い出などを全て聞かされて憔悴しきっていた。
 「と、ともかく、三人はそこまで仲がよくなかったということですね」
 「いやさー、そもそもね。なんていうのかなー、ソウルっつーかそのスピリチュアル的な物がね」
 金田は逃げ出した。


 「なんだと? それで俺に話をか? お前にしても俺のソウルは変わらない。そう、それが俺の音楽であり、ソウルだからだ。いつまでもな……」
 散々迷った挙句、金田は剛史にも話を聞くことにした。いきなり意味不明なことを言っているが、ここでスルーするわけにはいかない。金田はいつの間にか、犯人探しに夢中になっている自分に気が付いた。
 「そう、それはすごいですね。それで、シドさんとはどんな感じだったんでしょうか」
 「あいつはすごいヤツだよ。俺は自分のために音楽をやっていたが、あいつは何かこう……使命のような物を背負っていた感じがしたんだ」
 「使命、ですか?」
 剛史は頷く。
 「はっきりと聞いたことはなかったんだけどな。なんだか音楽に賭ける情熱みたいなものがすごかったんだ。だから俺も、あいつについて行った。あいつがいなくなった今、いけ好かない和也のヤローと二人っきりになっちまった。俺たちのバンドはもう終わりだ」
 人を見かけで判断するのをもうやめようと、金田は思った。なんでも二人は昔からの親友同士で、剛史ははじめ音楽を本気でやる気はなかったらしい。そこにシド……満に諭され、バンドを始めたという。和也は途中から入ったメンバーで、二人とは大きな心の壁があったようだ。
 「俺のソウルはこれからどこに行くのだろう……それがどんな場所だとしても、俺のソウルはそれ以上でもそれ以下でもない。だってソウルはここにあり、それこそが我がジャッジメント・バイブルの」
 なんだか新しい単語が出てきたので金田は洗脳される前にフェード・アウトした。というか、よくよく考えたら曲を作っているのは和也なのだから、曲の作れない二人が揃った所では会場のお茶を濁す程度のノイズバンドがいいところだろう。勝手なことを言ってはいるが、結局三人揃ってのバンドだったのだ。


 「おそかったじゃないの」
 部屋に帰ると、テレビを見ていたみかが迎え出た。こちらはすっかり忘れていたというのに、こんなバカな女にもいいところはあるのだなと、金田は関心した。
 「ジュース」
 もう今日は関心するのはやめようと金田は決心した。 

 金田は再び考える。二人の話を総合して、何か怪しい点は無いものか。だが、二人と和也があまり仲のよくないことを知って、殺人の可能性も考えてしまうようになってしまった。むしろ混乱してしまう。
 だが、この事件の真相をなんとかして知りたい。金田はもう一度事件の起こった地下室へと向かった。
 「哲雄、またどっか行くの? つまんないから私も行く」
 今度はみかがついてきた。面倒なことになった。


 地下室では鑑識作業も終了し、警官たちの撤収作業が始まっていた。どうやら竜の言う通り、警察の方では事故か自殺として話が進んでいるようだ。
 「やだ、なにこれ、血? 気持ち悪いんですけど」
 だったらついてこなかったらよかったんですけど。
 「やっだー! 楽器にも血が付いてる! 見て哲雄、マジウケる!」
 なんでそんなもんでウケるんだろうと考えながら、金田は凶器を眺める。
 と、鑑識の人間がそれを手に取って、別の場所に持っていった。その下には、なぜか埃が落ちている。

 その瞬間、金田の中で何かがはじけた。

 「あの、聞きたいんですけど」
 金田は鑑識に話しかける。
 「この凶器のベースって、事件時はどこにあったんですか」 
 「なんだい凶器って……この事件は事故か自殺だよ。……ベースがあったのはこの場所さ」
 鑑識は煙たがりながらも、場所を教えてくれた。満の死体のすぐそばだった。そこにも、埃を発見する。
 金田は天井を眺めた。
 「どうしたの、哲雄?」
 さっきから様子のおかしい金田に、みかが問いかけた。

 「……かった」
 「え?」


 「わかった。この事件の真相が」

 「事件って、なに?」

 金田はその場にずっこけた。せっかくのカッコいい場面が台無しだ。この、最高の見せ場を失った金田の心的外傷は相当なものだった。あとでみかを訴えよう。そんなことを考えながら。

 「鑑識さん。警部さんたちを呼んでください。これは事故なんかじゃありません。殺人です」





 「金田くんと言ったかね。一体なんだね。こんな所へ呼び出して」
 怪訝そうな顔をする警部が聞いた。同じような顔をして竜が並んでいる。
 「どうしたんだい、いったい」
 その隣には和也が。更に剛史、玲子と続く。
 五人は地下室へと呼び出されていた。

 「すみません、皆さん。急に呼んだりして」
 五人の正面に金田、みかが並んでいる。金田はちょっとかっこつけて、耳を撫でた。
 「何やってんのよ哲雄。ダサいわよ」
 無粋なみかのつっこみには無視を決め込む。それにしても、ああ、なんで関係のないこの子がここにいるんでしょう。
 「実は、この一連の事件の真相がわかりました。この事件はれっきとした殺人です」
 ニット帽の竜が食いつく。
 「そんなはずはない! わたしの推理では、これは事故だ! それとも何か、君が犯人でしたとでも告白するつもりかい」
 金田は表情を変えない。

 「金田くん。殺人なら殺人で、どうやってやったって言うんだい? たった数分のことなんだぜ。それに、まるでこの事件は事故みたいだよ。も、もしかして俺がやったなんて言い出すんじゃないだろうな。俺じゃない……俺じゃ……」
 和也はまた暴走モードに入ってしまった。
 「やっぱりこいつなのね! 和也が、和也がやったのね!」
 玲子はヒステリーを再発した。

 「お、落ち着いて下さい。僕たちは、大切なことを見落としていたんです」
 金田はなんとか場を繕う。この連中はアクが強すぎる。

 「ど、どういうこと、はじめちゃん?」
 金田がなにかカッコいいことをしようとしていると察知してか、みかがさり気に名前を間違えている。しかもここに来て、自分を美雪のポジションに置き換え始めている。なんという暴挙! だが話のつなげ方が気に入ったので金田は突っ込まないでおいた。

 「簡単なことだったんです。密室でも、たった数分でも、犯行を行えたやつが一人だけいます」
 「そっ、それは誰だと言うのだね、金田くんっ!?」
 警部は意外とノリがいい。そうそう、こうでなくちゃと金田は内心満足した。

 「それは……」

 金田は手を挙げると、人差し指をピンと張った。指を指された者が、犯人だと言うことだろう。

 警部が汗を拭く。
 竜がニット帽をかぶり直す。
 和也が頭を抱える。
 玲子が和也を見る。
 剛史が口を結ぶ。
 「ねえ誰なの?」
 みかがまた口を挟んで場面を台無しにする。金田はまたずっこけそうになる。だが、ふらついた足に気合を入れてなんとか持ち直した。

 

 「あんただ!」

 金田が指を指したのは、その中の誰でもなかった。
 指の先には、シドが愛用していたという凶器の古いベースがあった。

 「えっ……」
 全員が、鳩が豆鉄砲を食らったような顔をした。
 「彼のベースなら、全ての犯行を誰にも見られることなく行えます」
 「いや……その……うん」
 さすがの警部も何か、かわいそうなものを見るような眼差しで金田を見つめた。
 「ベースさん。あなたはまず、地下室の前でシドさんの目を引いた。きっと何かを落としたりしたんじゃないですか」
 金田は話を続ける。和也も、何か言いたそうな顔で口をつぐんでいる。剛史は眉間に皺を寄せる。
 「その間に、楽器ケースから抜け出したあなたは地下室へ先回りした。そして……」
 竜は左手で顔を覆う仕草をした。玲子は口をぽかんと開いたままだ。

 そんなことも気にせずに、金田はテーブルの上へと登った。
 「そ、そこに何があるっていうの、はじめちゃん」
 みかはまだ美雪している。
 「ここの天井裏を見るのさ」
 金田は天井へと何度か手を突き、その中で動いた板を確認するとすぐに外した。掃除していないようで、結構な量の埃が舞う。その先には、暗い空間が広がっていた。恐らく水や電気を引くための管などがあるスペースだろう。
 「ベースさん、あんたはここに隠れたんだ。警部さん、ここ調べました?」

 「い、いや、調べてはいないが。その、金田くん。」
 警部は困惑しながら、どう言えばいいのかを模索中だ。
 「でしたら鑑識さんを呼んでください。ベースの塗料か何かが出てくるはずです。それに、ここに埃が落ちていました。これも証拠になるはずです」
 「あ、あぁ」
 ここは逆らわない方がいいのかな、と警部は考えた。相手がおかしな人間の場合、下手に逆らうよりも一度肯定してあげて説得した方が効果的なのだ。
 「地下へとやってきたシドさんは、自分のベースが一本足りないことに気が付く。そしてこう考えたんだ。ああ、さっきの部屋においてきたんじゃないかってね」
 金田はテーブルから降りた。
 「そして、部屋へ戻ろうと階段へ登ろうとする。そこを後ろから……」


 「ふざけるなッ!」
 竜がテーブルを叩いた。地下室に轟音が響き渡る。地下室の空気が凍りついた。
 「どうしたんです、竜さん」
 「どうしたもこうしたもねえっ! ふざけやがって! っしょうもない! 時間を無駄にしたぜ! わたしは職務にもど」

 

 「あいつが、あいつが悪いんだ……」

 今度は別の意味で、空気が凍りついた。
 ベースがひとりでに、音を奏で始めたのだ。この場にいる六人には、なぜかその音が言葉のように感じられた。
 「シドの野郎と俺は約束したんだ。俺とあいつでのし上がるってスターになってやるってさ。それなのに、それなのに! あいつは俺がボロくなった途端、そこにいる和也の口車に乗って新しいヤツに乗り換えやがった! 俺のことなんかただの道具にしか思ってなかったんだよ、あいつは! だから、だから許せなかった! 殺そうと思って、今回の作戦を練ったんだ」
 全員が動けないでいた。チューニングが多少ズレてはいるが、見事な演奏だ。さっきまで怒りを爆発させていた竜も、いつしかこの音に聞き入っていることに気が付く。
 「おい、ベース野郎」
 そんな見事なロータリー奏法に口を挟んだのは剛史だった。演奏が病んでしまう。そこにいる全員が、少し残念だと思った。
 「シドがそんなこと考えてると思ってたのか。バカ野郎が」
 「お前にはわからないだろうさ、お前なんかには!」
 今度はチョッパーに変わったが、剛史はひるまない。
 「わからないはずねえだろうが! 俺はあいつがお前のことをどれだけ大切にしてるか知ってんだっ! お前みたいな音のズレたガラクタ、普通のヤツならとっくに捨ててるんだ! だのに、シドはお前をこんな旅館にまで持ってきてるんだぞ! それが、それがどういうことなのかわからねえのかよっ!」
 剛史は涙を流して床に手を付いた。ベースの旋律が、変わってゆく。

 「う……ううっ……」
 F、C、C。一日のことを後悔する男を歌った、有名なブルースのコードだった。

 


 結局事件は、ベースが行った物として容疑が確定。ものをしゃべれぬ楽器がどうして、と鑑識の人間は不思議に思ったが、竜と警部の意見が半ば強引に通された。しかし実際問題楽器を起訴することなどできはしない。正式には事故だったものとして捜査は終了となった。
 シド……佐原満の墓には、古ぼけたベースが一緒に埋められたと言う。

 

 「てつおー!」
 ある学校の昼休み、机に突っ伏していた金田のもとに、みかがやってきた。
 「なんだよ、みか」
 金田は大あくびをして、みかを見た。何か後ろ手に隠している。
 「これ、今日発売だったのよ。バンドの名前変わってたからちょっと戸惑ったよ。インディーズだけどさ、結構売れてたよ」
 みかが差し出したCDには、大きくこう書いてあった。


 『友へのブルース/SHIDO』


 ローマ字はないだろうローマ字は、と金田は思った。(完)