果て

 どんなことにも終わりがある。どこに行けばよいか、どこまで行けばよいかわからないが、
いつになったら、いつまで待てばよいのかわからないが、終わりはある。
 だから、この世界にも終わりがあるのだと、若者は考えた。
 待っていてもよいが、それまでどうやって生きようと、若者は考えた。
そうだ、それまでは自分の足で終わりを探していよう。
 そう思った次の瞬間には、若者は旅支度を始めていた。

 旅に出てすぐ、顔見知りの男に出会った。
「つらいのは、わかる。でもそうやってどこかに逃げていくなんて、少し違うんじゃないか」
 若者は答える。
「わたしは終わり、世界の果てを見たくなっただけだ」
 男は悲しそうな顔をして、若者を見送った。男はもう、若者に会うことはないのだろうと感じた。



 しばらくしたのち、絶壁に阻まれた。
 岩の壁は縦横に、果てなく続いているように見えた。
「まさか。ここが果てなのだろうか」
 若者は思った。しかし、すぐに壁に手をかけた。

 若者の挑戦が何度か失敗した頃、それを見ていた女が声をかけた。
「さっきから見ていましたが、なにをしているのですか。そんな所を登ったとしても、何の得もありはしませんよ」
 若者は答える。
「何もないだなんて、登ってみなくてはわからない。なければないで、いい。それでいい」
「ばかな。何もありませんよ」
 女はあきれた。「それに、登れるはずがない」
「それも、やってみなくてはわからないではないか。空を見なさい。この絶壁の先にも続いている。
空が続いているというのは、世界も続いているということだろう」
 女がいくら止めても、男は手を止めようとしなかった。
 それからというもの、三日たっても、四日たっても男は延々と登りつづけた。いつの間にか女もついてきていた。
 そして、とうとう五日かけて、二人は壁を登り切った。
 
 世界は、空は、まだ続いていた。

 女はとても喜んだ。
「私は今まで、この壁を見ただけで出来るわけがないと諦めていました。
あなたは大切なことを教えてくれたのです。どうもありがとう」
 若者は何も言わずにまた、歩き出した。


 大きな街で、若者は一つの音に呼び止められた。サックスの奏者だった。
 おつかれですね。そんな格好で、こんなところを歩いているのはなぜですか。と、音がした。
 若者は答える。
「世界のおわりが、果てが見たいのです」
 そんなことをして意味はあるのですか。と音が鳴った。
「あります。わたしが満足します。」
 すると音調が変わり、私はこうしてサックスを鳴らし、お金を稼いでいるというのに。
あなたはおおばか者です。という、皮肉っぽい音が奏でられた。
「おおばか者でも、やりたい、やらなくてはならないという意思がある。
わたしは止まりません。お金が欲しいというのなら、あげましょう」
 若者は自分のお金をすべてそこに置いて、また歩き出した。
 さようなら、おおばかもの。悲しい音が聞こえた。

 あたたかい、が暑いに変わったあたりで、ついてきていた女が病気になった。
 若者は看病したが、女はどんどん命をしぼませていった。
「私はあの絶壁を見てすっかり諦めていました。本当は、私の旅はあの場所で終わっていたのです。
あなたのおかげでここまで来れたのです」
 若者は答える。
「あなたは満足したのか」
 女は少し悲しい顔をした。「目的は達しませんでしたが、
あなたと旅ができてうれしかった。だから、ありがとう」
 女はそう言って、死んだ。
 若者は悲しんだが、やはり、また歩き出した。

 若者の旅は、いつしか一年、二年と続き、いつのまにか十年が経っていた。
 多くの出会いがあったが、彼は結局、ひとりだった。
 数知れぬ人の幸せや不幸、あるものの羨み、またあるものの恨み、思いを知り、何も話さなくなっていた。
 もう、あまり考えることもせずに、彼は進んでいた。
 寒さを越え、暑さを越え、さびしさを越え、つらさを越え、彼の周りには、すでに知っているものなど何もなくなっていた。
「ちいさきものよ」
 空から声が降ってきた。
「私は、お前を見ていた。たかが人間がここまでやれるものなのかと感動した。はっきり言うが、
その先には行かないほうがよろしい。ここまで来られたその功績を認めて、おまえの満足をやろう。なんでも好きなものをやろう」
 彼は答えなかった。
「世界の果てなど、行く意味がない。その先には、おまえの思うような、
望むものはなにもない。だからやめてしまいなさい」

 しかし、彼はそれでも世界の果てが見たかった。だから歩むことをやめなかった。


 それから、地面がなくなり、空が消えた。空気もなくなった。光も見えなくなった。

 彼はそれでも、歩き続けた。進みつづけた。体がなくなったが、魂は残った。

「わたしは、小さかったのかもしれない。あまりにも、小さかった。
しかし、それでも進むことだけはできたのだ」


 彼の魂がすべてけずられて、消えたとき。
 残っているものなど、もうなかった。
 世界はそこで、終わっていた。




チップ

 ここにチップが一枚ある。
 わたしの全てだ。

 目の前ではルーレットが回っている。
 テーブルに腰掛ける人間たちは、それぞれの思いを馳せながら、チップを置いてゆく。
 彼らは興奮していたり、妙なほど落ち着いていたり、また何も考えていないように見えた。

 ルーレットが止まって、答えが出た。
 結果が言い渡され、あるものは歓喜する。またあるものは肩を落として、外へ出て行った。

「あんたはやらないのかい」
 さっきの回で当たったらしい男に声をかけられた。
「いや、俺はいいんだ」
「だったらなんで、チップを持ってここにいるんだい」
 男は外へと出て行った。

 ドアが開いて、また新たな何人かがやってくる。彼らの手には、やはりチップが握られている。

 数分して、何度か喜びと悲しみが繰り返された。
 わたしはまだ、呆然とそれを眺めていた。


「見ているだけで楽しいものかね」
 今度はルーレットを回している男に声を掛けられた。
「いや、はずれた人は可哀相だが、当たった人はうらやましい」
「だったらなぜテーブルにつかないのかね」
「チップは一枚しかないんだ。これを外したら終わりだ」
 男は、あきれたように肩をすくめた。

「君は気がついていないのかい。誰もチップを二枚以上持ってはいないよ。みんな一枚しかない。
それで勝負しているんだ」 「だが、そんなことでチップを失ったらどうするんだ」
 不安そうなわたしをよそに、男はやさしくほほえんだ。
「チップを失うのは確かにつらいことだ。だが、外れてここから出て行った人たちがみんな不幸になるのかね。
私はそうは思わない。外れたとしても、だからこそある世界が広がっているのだろうよ。
もちろん、幸せもね。当たるにこしたことはないのかもしれないけれどね、君はそれを見たいと思わないかい。
ずっと、ここでこの狭い世界を眺めているのかい」


 テーブルでは、変わらず同じことが繰り返されている。
 外れたとしても、当たったとしても、人々は外へと歩いてゆく。


 わたしはチップを強く握って、テーブルにたたきつけた。




バス・ストップ

 バス停で、大勢の人間がバスを待っている。わたしもその中の一人だった。
 しばらくして、ある男が「もう、待っていられない」と言い出した。男はバス停を抜け出し、ひとりで歩き出した。
何人かの友人が止めたが、男は聞く耳を持たずに行ってしまった。
「ばかなやつだ。待っていれば歩くよりも早く目的地へたどり着けるものを」
 男が行ったあと、友人たちは笑いあっていた。

 しばらくして、小さなバスがやってきた。窓から運転手の顔が除く。
「近くまでしか行かないけれど、乗っていきますか」
 何人かは乗った。わたしや、その他の人間は残ることにした。

「選択を後悔せぬよう」
 バスは走り出した。

 長い時間待っていると、さすがに足が辛くなってくる。周りの人々も同様らしく、
ついには諦めてバス停前のパスタ屋へと入っていってしまった。
 彼らが料理を食べている途中にいくつかのバスが来て、何人かは乗りたかったやつに乗り遅れたようだった。
乗り遅れた人間は泣き叫んだり、またパスタを食べに行ったりしていた。
 バスはまだ来ない。この頃には最初のやつに乗っておくべきだったとか、歩いていくべきだったと言い出す人間が出てきた。
だが先に進んだ人間たちと、彼らを乗せたバスはもう帰ってこない。

 それからどれだけの時間待っただろうか。
 気付いてみるとバス停にはほとんど人がいなかった。パスタ屋はいつの間にか大にぎわいしていた。
 行くべき道の先には足跡がたくさんあった。歩いて行ったのだろうか。
 行くべきか、待つべきか。

 わたしはまだ、待っている。